「きゃ〜っ。玲さん、いらっしゃい♪」  
 孝也が玲をつれてきた第一声がこれであった。  
 「お、おじさま、おばさま。ふつつかものですがよろしく・・・。」  
 玲の挨拶もそこそこに、孝也の母親が玲に抱きついた。  
 「硬い挨拶なんて抜きよ。さぁ、いらっしゃい。玲さんの部屋はもう用意しているのよ。」  
 孝也の母はそう言うと、彼女を連れてきた息子など眼もくれず、自分が用意した部屋へと玲を案内した。  
 「・・・俺は無視??」  
 そう思うものの、自分の母が玲を歓迎しているのを見ると、どこか嬉しいものだ。  
 孝也は苦笑しながら、メイドが運ぼうとしていた玲の荷物を受け取り、二人の後に続く。  
 孝也の母が玲の部屋として用意したのは、南に大きく窓がある一室だった。それ自体にはそう問題はない。ただ一つ問題なのは・・・。  
 (俺の部屋が遠いじゃん・・・)
 ということだった。しかも二人の部屋の間には両親の部屋という大きな障害がある。  
 (これじゃぁ、おちおち玲の部屋に来れないじゃん・・・)  
 ということだった。  
 「母さん。なんで俺の部屋から玲の部屋がこんなに遠いの?」  
 孝也のその言葉は、彼の母親にはなんの感銘も与えなかった。  
 「あら?当たり前でしょ。たとえ婚約したとはいえ、よそ様の大切な娘さんをあなたみたいな息子の近くに住まわせるわけないでしょ。」  
 そんな当たり前なことを言わせないでとばかりに、彼女は断言する。  
 (あなたみたいな息子って・・・。産んだのアンタでしょう・・・)  
 孝也と彼の母親とのやり取りを横で見ていた玲は、二人の勢いにやや圧倒されつつ口を開いた。  
 「―――あ、あの・・・、おばさま・・」  
 「玲さん。『おばさま』っていうのは水臭いわ。『お母様』って呼んでいただきたいわ。」  
 孝也の母親の訂正に、玲はもう一度言い直す。  
 「あの、お母様。私、こんなすばらしい部屋を用意して頂かなくても・・・。」  
 そう言って、辞退しようとする玲に、孝也の母親は手にしたハンカチをそっと目頭に当てた。  
 「玲さん・・・。私、ずっと娘を持つのが夢でしたの。こんなむさい息子よりもね。でも結局、その望みは叶わず・・・。だから、孝也があなたと婚約したって聞いたときは、すごく嬉しくってね。一日でも早く、私の部屋の隣に住んでいただきたくって・・・。」  
 そう言いながら涙する彼女に、玲はすぐに駆け寄った。  
 「す、すみません。お母様。お母様の願いも知らずに勝手なことを申しました。」  
 「あぁ、玲さん。わかって下さったのね。」  
 そう言って手を取り合う二人を、やや後方から孝也は見守っていた。  
 (―――玲、優しすぎ・・・)  
 孝也は心の中でそうつぶやいた。こんな母親の猿芝居にも引っかかるようじゃ、おちおち目も離せないなと孝也は実感していた。  
 (まぁ、離す気もないけどね・・・)  
 そう思うと、孝也は小さく頷いた。  確かに、孝也の考えていた予定とは少し違っているが、玲がいつも家で自分を迎えてくれるだろうこれからの生活が、存外悪くないように思えた。―――それに、  
 (玲のところに行くのに、両親の部屋の前を通らなければならないことは、かえってよかったかもしれない)  
 とも思った。この奇抜な両親が、彼の歯止めになってくれるであろうことを、孝也は正しく理解していたのである。  
 「・・・あのさ、盛り上がってるとこ悪いんだけど、玲の荷物を片付けようと思うんだけど・・・」  
 いつまでたっても、部屋の入り口前で手を取り合ってる二人にややあきれつつ呟くと、孝也の母親は反対に、彼をにらんだ。  
 「あら、私たちの絆に文句があるわけ?」  
 「いえ、ありませんよ。お母様。」  
 玲の口調を真似する孝也をもう一度睨み返し、  
 「玲さん。今日は持ってこられた物を片付けられたら、ゆっくりしていて下さいな。夕食のときにお会いしましょう。」  
 そう言って、孝也の母は部屋を後にする。  
 残されたのは、孝也と玲だけだった。