翌日の夜7時。
 如月邸に程近いレストランで待ち合わせをした孝也と玲は、婚約して初めての二人きりの時間を持つことになった。 そしてそれは、他人が思っているよりもずっと深刻な話し合いとなった。
 「実は、大変なことになったんだ。」  
 何の前置きもなく、単刀直入に話を進めてみる。  
 「昼前、お袋から電話があって、玲を俺んちへ住ませるって言うんだけど・・・。」  
 孝也のセリフに玲のほうも小さく頷いた。  
 「あ、うん。うちにも電話をいただいたの。―――ごめんね。なんか大変なことになっちゃったね。」   
 本当にすまなそうに玲が謝る。自分が孝也をこんなことに巻き込まなければと思っていることは孝也はすぐに推察した。  
 「・・・いや。」  
 出来るだけそっけなく返事をする。まるで、気にしなくていいということを玲に伝えるように。実際、玲にはこのことで自分に対し負い目などもってほしくないのだ。  
 「本当にごめんなさい。孝也くん。―――あのね、やっぱりおばあちゃんに本当のことを言って婚約の件、無かったことにしてもらおうかって思ってるの。」  
 玲の小さな声に、孝也の肩がぴくんと動く。  
 「・・・ふ〜ん・・・。それで翼先輩のとこの会社が潰れてもいいんだ?」  
 少し低い声で、玲に問いかける。  
 「―――そ、それは・・。」  
 すこし意地悪な質問だと孝也にだってわかっている。  
 そんなわけないことも孝也だってわかっている。 だがそうでも言わない限り、玲が納得しないこともまた理解していた。  
 頑固なところも彼女の魅力の一部なんだから。  
 「でしょ?じゃぁ、もうごちゃごちゃ言わない!!」  
 そう言えば、玲が反論しないことは長い間の二人の付き合いの仲で学んでいた。  
 玲はそれ以上に何も言えず、ただ、頷いた。  
 孝也のほうは満足そうに頷くと、玲にもう一度視線を合わせた。  
 「それで、どうする?」  
 「え?」  
 どうするって何が?って言いたげな玲に孝也は大きくため息をついた。  
 「―――だから、俺と玲が一緒に住むって事だよ。」  
 さっき言ったでしょ?とばかりの孝也に玲はおろおろする。  
 「あ・・・」  
 「どうする?一緒に住んでみる?」  
 そう玲の瞳を覗き込む孝也に対し、玲はその視線をさけ俯いてしまう。  
 「・・・でも、そんな事をしたら、孝也くん迷惑でしょ?」  
 「あのね、玲。俺がもし、迷惑だと思っているんなら、はっきりそう言うし、第一玲にこんなこと訊かないよ。」  
 そこまで俺のこと見くびっているの?と言外に問う。  
 「・・・うん。」  
 「だから、玲。俺の事情も周りの事情も関係ない。玲の意思で決めて欲しいんだ。」  
 そう話す孝也はどこまでも真剣で、玲は少し圧倒される。  
 「でも・・・。」  
 まだ人のことを気にする玲に、孝也はもう一度、大きく息を吐いた。  
 「玲。もしこのままずるずると俺の家に親父やお袋の薦めるまま同居することになったら、いずれ後悔をするのは玲なんだ。だから玲自身に決めてほしい。」  
 (周りの事情も状況も、関係ない。 玲自身の気持ちを知りたい。)  
 それによって孝也の覚悟も変わってくるのだ。  
 もちろん、昨日の今日だ。いきなりなのも孝也だってわかっている。  
 でも、だからこそ。  
 素直な玲の今の気持ちを知りたいのだ。  
 「―――どうする?」  
 もう一度そう問われ、  
 「・・・うん。孝也くんの家に一緒に住もうかな。」  
 しばらく考えた後、玲はそう応えた。  
 いい?と逆に問われ、孝也は嬉しそうに頷いた。  
 「あぁ。本当に来なよ。親父やお袋も喜ぶし。」  
 孝也は出来るだけ自然に聞こえるように、そう同意した。  
 初め、玲と一緒に住むことなど論外であったはずの孝也であったが、玲と話しているうちに、なぜか彼女に一緒に住むことを勧めてしまったのだ。  
 (ま、いっか・・・。)  
 孝也の考えていた予定とは少し違ってくるが、それも何とかなるだろう。  
 (どうせ、ゆくゆくは一緒に住むんだし・・・。)  
 そうほくそえむ。 この話は終わりだとばかりに、孝也は給仕を呼び、シャンパンを運ばせる。 そして、給仕の持ってきてくれたシャンパングラスを玲に持たせた。  
 「え?シャンパン??」  
 そう問いかける玲に孝也は片目を閉じて見せた。  
 「そう、これからの俺たちの婚約生活が成功するように、ね。」  
 孝也は玲のグラスに自分のそれを合わせ、カチンと音を鳴らす。  
 二人だけにしかわからない関係。  
 二人だけにしかわからない会話。  
 そんな単純なことがとても心地よい。  
 そのことが孝也には嬉しかった。