その翌日。
 翼の突然の婚約破棄と尾上財閥の「尾上 美咲」との駆け落ち騒動は、Kisaragiコンツェルン、とくに如月 カヤノの怒りを買うことになった。
 「―――楠木!!玲を呼ぶんだ!!」
 彼女の第一秘書に、そう言いつけるといつもなら座り心地がいいと絶賛している椅子に、乱暴に腰を落とす。
 「はい、ただ今!!」
 彼女の側近である楠木は、すぐに玲に連絡すべく踵を返す。
 「・・・いったいどうして・・・。」
 カヤノはそうつぶやくと両手を組んで、目頭に押し当てた。
 カヤノにとって玲は、本当に大切な孫娘であった。そして、翼はそんな玲が想いを寄せていた好青年である。
 よもや、玲が翼に振られることになろうとは、ましてや翼が玲を捨てて駆け落ちしようとは思いもよらなかったのである。
 だからこそ、当事者である玲から事情を聞くしかない。
 そう、カヤノは思ったのだ。
 1時間位したころであろうか。
 玲は楠木に連れられて、「Kisaragiコンツェルン」の総帥の私室のドアをノックしたのは。
 「おばぁちゃん。およびと伺ったんだけど?」
 玲のまぶたはうっすら腫れていた。今朝、珍しく玲が起きてこなかったのも頷けるというものだ。
 「―――山本のことは、今朝、ヤツの父親から聞いた。だが、あたしにはどうしても納得が出来ん。あの山本が、玲を裏切っていたなんてな。あんたたちはホンと仲よかったじゃないか。」
 カヤノは玲を正面から見据えると、そうつぶやいた。
 玲としては、カヤノに心配かけないためには、そして、翼の父親の会社のためには、結局嘘をつくしかなかった。
 「おばあちゃん・・・。私、―――他に好きな人が出来たの。お兄様はそのこともあって、私の為に美咲さんと駆け落ちをしてくれたの。」
 玲はそうつぶやいた。だが、とても自分を心配してくれているカヤノの瞳などは見れやしなかった。そしてその事が、一層カヤノに不信感を抱かせた。
 「―――玲。じゃあ、その相手は誰だい?言ってごらん?」
 「え? 相手ってっ。」
 「だから、玲の好きな相手じゃよ。言えるだろ?」
 「そ、それは・・・。」
 昨日、孝也が提案してくれた『孝也が玲の婚約者になる』ことに同意をしたものの、やはり玲は戸惑いを隠せない。
 (もし、今朝になって孝也くんの気が変わってしまっていたら、迷惑がかかってしまうもの。もしかしたら、孝也くんに他に好きな人がいてるかもしれないし・・・)
 そう思うと、孝也の名前を言うことなど出来なかった。
 「総帥、私ですよ。玲とつきあってるの。」
 ノックもなしに、開いたドアのほうを二人は振り返った。そこには孝也が佇んでいた。
 「孝也!!」
 「・・・孝也くん・・」
 呆然としている二人に、孝也はツカツカと歩み寄る。そしてそのまま玲の肩を抱き寄せた。
 「私が玲とつきあってるです。」
 「いつからつきあってるんだい?」
 そうすぐに切り返すカヤノに、孝也が即答する。
 「―――1年半前、くらいです。でも、その頃には玲は翼先輩と」
 そう言いながら、玲の頬にそっとくちづけた。
 カヤノはその孝也の言葉に、疑り深く二人の様子を伺う。
 玲のほうは顔を真っ赤にし俯き、その横で孝也のほうは真剣な顔をしている。
 その二人の様子に、ますます訝しげに二人を見る。
 「・・・孝也。言っちゃ悪いが、信じられないね。お前はつきあっている女にKissさえしてないのかい?」
 その胡散臭げなカヤノの様子に、孝也は笑顔で返事をする。
 「玲は純情ですからね。玲に合わせて進んできたんです。」
 そうきっぱり言い切られると、カヤノのほうもそれ以上、問い詰めることは出来なかった。
 「じゃぁ、孝也。お前は玲を愛しているんだね?」
 「もちろん。」
 そうきっぱり言い切ると、もう一度玲にKissをした。カヤノはその孝也の様子に満足げに頷くと、二人に下がるように告げた。 ぱたん。 静かな廊下にカヤノの私室のドアの音が鳴り響く。
 孝也は玲の肩を抱いたまま、黙って玄関へと向かった。いつもの孝也の早足ではなく、玲のペースで歩く孝也に、玲は嬉しそうに微笑んだ。
 「んで、どうして言わなかったの?玲。昨日、あんなに約束したでしょ。」
 「だって・・。―――え?れいって」
 この時になってようやく、孝也が『名前』で呼んでいることに気づく。
 「あたりまえ。俺たち『恋人同士』なんだから。―――そんなことより、なんで、言わなかった。さっき?」
 「だって・・・。」
 「だってじゃない!! 昨日あんなに約束しただろ?」
 「―――だって、やっぱり、迷惑かなって。孝也くん他に好きな人がいたらって思ったんだもん。」
 玲のその言葉に、孝也は寂しそうに微笑んだ。
 「迷惑じゃないって言わなかった?それに、好きな人はいるけど、振られたし、ね。」
 玲は、孝也のその寂しそうな瞳をこれから先、ずっと忘れないだろう事を予感した。



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