翌朝。 昨日の自分の行動がとてもはずかしくって、孝也と顔を合わせるのが気詰まりな玲は、孝也が出社してから起き出して来た。
「おはようございます。」
朝の10時も過ぎた頃なので、孝也の両親も夏季も朝ごはんをすっかり食べ終えていた。
「あ、おはよう。玲さん。―――身体の方はもう大丈夫?」
そう問いかけてきたのは夏季だった。
玲に向かってそう微笑みかけてくる彼女は、昨日と同じくらい素敵な笑顔だ。
「あ、はい。すみません、ご心配をおかけして・・・。」
玲はそう言って深く頭を下げた。
「もう孝也さん、出社しちゃったのよね。玲さんの具合が悪いって言うのに・・・。」
夏季がそうぶつぶつと文句を言っている。
「そ、そんな・・・。大丈夫です。それに、お仕事ですから・・・。」
玲がそう返事をする。―――夏季はその玲の返事に嬉しそうに微笑んだ。
「よかったわ。孝也さんが選んだのが玲さんで・・・。」
「え?」
どういう意味か図りかねたように問いかける玲に、夏季はニッコリと微笑んだ。
「孝也さんが婚約したっておじ様に連絡を貰った時に、はじめすっごくビックリしたの。でね、思わず『会わせて下さい』ってお願いしちゃったの。」
夏季はそう言うと、舌を出した。
「ゴメンナサイね。すっごく大切な従弟だから、もしヘンな子に引っかかってたらって思うと居ても立っても居られなくってね。―――でも、玲さんみたいに可愛らしい子で本当に良かったわ。孝也さんの見る眼に間違いがなかったんだって。」
夏季はそう言うと、玲を残してリビングから出て行った。
一方、 孝也はいつもどおりに起床し、出社していた。
(ねむ・・・)
孝也は心の中でそう呟きつつ、社長室の机に座った。
昨夜。
あまりに不意打ちな玲の行動に、孝也はほとんど眠れず、会社に出勤となったのだ。
玲のほうはというと、いつもは孝也とともに朝食を取っていたのだが、さすがに今日は現れなかった。
(恥ずかしい・・・のか?)
そう人知れず問いかけてみる。
だがそれは、孝也にとっては嬉しい傾向だ。
なんといっても、『Kissして恥ずかしがってくれるぐらいには意識をしてもらってる』って事だからだ。
そんな埒もない考えが頭の中に浮かび、口元を緩める。
今までは『意識さえしてくれなかった』のだから、玲の中での彼の位置がかなり進歩したのではないだろうかと、勝手に思っている。
「―――でも、玲に俺の気持ちがばれたのか・・。」
そう思うと、少々バツが悪いように感じられたりもする。別に自分の気持ちを押し隠すつもりは毛頭ないのだが、やっぱり玲に知られたことには気恥ずかしくも感じるのだ。
(ま、別に悪いことしてるわけじゃないけどね。)
そう結論付けることにする。 どちらにしてもいずればれていただろうし、彼女に隠さないといけないと言うことでもない。
だけど・・・。
(今夜帰ったあと、その玲と顔を合わせることを考えると少し楽しみにも思える。)
何といっても昨夜の玲のKissは、孝也にとっても衝撃的ではあるがそれ以上に、玲のほうが自分の行動にショックを受けていたようだったから。
幸せな時間に浸っていた孝也がその時間から追い出されたのは、それから僅か、5分後だった。
「・・・た、孝也っ、この馬鹿息子っっ。お前、玲ちゃんに何をしたんだ〜!!」
そう言って社長室に飛び込んできたのは、この会社の会長、滝野 毅だった。
「何って、そっちこそ何言ってんだよ?」
孝也はいつにない慌てた様子の毅を横目で見つつ、問いかけた。
(俺は、何もしてないっての。)
昨日のことを思い出しつつ、答える孝也に毅は、大きな音を立てて、机の上に片手を広げた。
「何もしてないってのか?え?? この手紙を見てみろ。」
毅はもう片方の手を孝也の方に突き出す。その手には、一枚の白い便箋が握られていた。
「なに?」
孝也は今一意味が飲み込めないものの、その便箋をひったくり眼を通した。
そこには女性らしい丁寧な文字がつづられていた。
『おじ様、おば様、そして孝也くんへ
今まで、本当にお世話になりました。こんな形で黙って出て行くことを許してください。
今回の突然の孝也くんとの婚約は、窮地に陥った私のために、孝也くんにお願いをして、偽の婚約をしてもらったんです。
おじ様とおば様には本当に申し訳なく思っています。すみませんでした。
そして、孝也くん。いままで本当にありがとうございました。
これからは、偽の婚約者の私ではなく、孝也くんの好きな人と幸せになってください。
夏季さんにもよろしくお伝えください。
祖母には私のほうからちゃんと説明しておきます。
如月 玲』
そう、したためられていた。
「・・・玲っ!!」
「おい、孝也。どういうことだ?! 偽の婚約っていったい?!」
そう問い詰める毅には一言も応えず、孝也はまっすぐ社長室の入り口を睨んだ。
「・・・親父。今、暇?」
「お前、何言って?」
「悪いけど、少しの間、社長業を頼むよ。」
そう言って毅の返事を待たず、孝也は走って出て行った。
「どこ行くんだ?」 扉が閉まる直前に、毅は孝也の後姿に問いかけた。
「親父の義娘を迎えに行ってくる。」
そう不敵に笑うと、今度は後も振り返らずに走っていく。
「しっかり捕まえて来い。」
それが、放蕩親父から馬鹿息子へのエールだった。
「――――そ・・すい。玲は?」
孝也はKisaragiコンツェルン総帥の部屋に入るなりそう尋ねた。
如月邸には先ほど電話をして、不在である旨確認を取っている。玲が如月邸にいないのであれば、祖母であるカヤノの傍に居ると考えるのが妥当であろう。
「おぉ、孝也。よく来てくれた。丁度電話しようと思っていたところじゃよ。」
慌てた様子の孝也に比べ、カヤノのほうはいたって呑気にそう応えた。
「総帥、玲は?」
先ほどよりも、もう少しはっきりと孝也は発音した。
「玲か―――先ほど、玲から全部聞いたよ。玲が困っているので、お前に無理矢理偽の婚約者の件を頼み込んだってね。本当にすまなかったね。」
カヤノはそう言って頭を下げた。
「それ、玲が言ったんですか?」
「そうだよ。お前に申し訳ないことをしたって言ってね・・・。」
そう返事をするカヤノは、少し疑わしげに孝也を見やった。
「・・・違うのかい?」
「―――玲に無理やり偽の婚約者の件を持ち込んだのは私です。私が玲にそうさせたんですよ。」
そう言ってまっすぐカヤノを見つめた。
「それで、玲は?」
その返答にカヤノはゆっくり首を横に振った。
「ここにはいないよ。」
「・・・どこに行ったんですか?」
「さぁねぇ。ただ、夕食は一緒に取ることになってるから、夜までには家に帰ってくるはずじゃがな。」
そう応えるカヤノは、なぜか嬉しそうだった。
「総帥。玲との今夜の夕食の権利、私がもらってもいいですか?」
そう、問いかけた。
「玲は私のこと、多分、誤解しているんです。だから、もう一度はっきりさせてから、―――俺の家へ連れて帰る。」
それは孝也の一人称がカヤノの前で『私』から『俺』へと変わった瞬間だった。
孝也はそう一方的につげると、カヤノの答を待たずに踵を返した。
今では玲の昨夜の行動も、彼女の想いも何もかも孝也には理解できた。
玲が孝也のことをどう思っているかも、玲が孝也の好きな人が誰だと思っているかも・・・。
玲が孝也のことを好きでなかったのなら、昨夜、彼女からKissなどしないことは、ずっと彼女を見つめてきた孝也だからこそ、十分にわかっていた。だからこそ、
(あの馬鹿っ)
孝也は心の中で玲を罵った。
(何で、俺が好きなのが、夏季「姉」さんなんだよ?!俺が好きでもないやつと婚約するなんて本気で思ってるのか?)
そう玲に直接言ってやりたかった。そして、自分が本当に好きなのは誰か、伝えるのだ。
孝也はそう決意した。
今度こそ本当に、自分のありのままの気持ちを伝えて、玲に戻ってきてもらうのだ。
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