―――やっぱり、根っからのお嬢様だわ。
 3件目の店に入った後の、それが綾奈の玲に対する感想だった。
 1件目、2件目とも洋服を見ていたのだが、どうしても綾奈は「似合う」ということよりも「値段」を意識してしまうのだ。さすがに超有名ブランドには入らないものの、それでも綾奈が聞いたことのあるメーカーのそれも上質なものを次々とフィッティングルームにいる綾奈のもとに持ってくるのだ。
 しかも目が肥えているのか、どれもこれも綾奈によく似合うのだからたいしたものだ。
 「普段、着ない色なんですが…。」
 というような色合いの服もどんどん持ってきてくれて、それがちゃんと綾奈に似合うあたりは玲のセンスの良さが伺える。
 だが、一つ言えることはどれも「高い」ということだ。それも綾奈が普段買っているファストファッションの服とはそれこそゼロの数が2つは違うという物ばかりだ。
 「れ、玲さんっ。こんな高いものっ。」
 そういって断ろうとする綾奈ににっこりと笑った。
 「「戦闘服」だもの。少しくらい高いものの方がいいのよ。だからこその「スポンサー」なんだしね。」
 そう言い募ってさらに何着かフィッティングルームにいる綾奈に洋服を持ってきた。
 最終的に4件の店に入り5着の服と仕事用のバッグを買って買い物は終了した。


               *       *       *      *      *



 「はじめまして、澤井綾奈といいます。どうぞよろしくお願いいたします。」
 月曜日。
 綾奈は8階にある秘書室で簡単な自己紹介をしていた。今日着ている洋服は、昨日買った洋服の中でも玲の一押しの服装だ。
 『初日は絶対、これを着て行ってね。』
 何度も何度も念押しをされた洋服に身を包み、ついでに化粧の仕方もレクチャー通りだ。
 (ついでに言葉づかいとかも聞いとけばよかった…。)
 そう思わないでもなかったが、自分は自分らしく!!と思っているのも事実だ。何もかも玲の言うがままにすることは何となく抵抗があった。まるで自分が自分でないような気がするからだ。
 ―――でも、やっぱり言葉づかいは教えてもらってた方が良かったかも…。
 いかにも「仕事ができます」というような人たちの視線を一身に浴びて綾奈は少し竦んでしまう。しかも、『秘書課』というと女性が多いイメージだが、何故か滝野コーポレーションでは綾奈を除いて9人中、実に8人が男性なのだ。企業としても珍しい部類に入るのではないだろうか?
 「とりあえず澤井君には小山君、君がトレーナーとしていろいろ指導してくれたまえ。」
 一通り紹介があった後、秘書課主任黒川が、秘書課唯一の女性小山真紀を名指しした。
 「はい。―――澤井さん、どうぞよろしくね。」
 にっこり笑った真紀は、やはりできる女性の微笑みだった。

 「澤井君。」
 綾奈が指定された席に着き、今から真紀にいろいろ教えてもらおうとしているときに、大きな窓を背に座っている黒川が再び声をかけてきた。
 「はい!!」
 きびきびした黒川に声をかけられるたびに、綾奈の背筋が知らず知らずのうちに伸びる。真横の席の真紀が背中を震わせて笑っているのが見えるが、ひとまずそんなことは些末なことだ。
 「秘書課内のお茶の準備は特にしなくていい。飲みたいときに自分で入れることになっている。後、君を含めて秘書は全員で11名だが、女性は小山君と君だけだ。何か困ったことがあれば、なんでも彼女の相談してくれ。―――勿論、私や他の皆も相談に乗ってくれるだろうが女性ならではの問題もあると思う。」
 立て板に水のごとくそう一気に言うと、黒川は再び先ほどまで目を通していた書類に視線を落とした。
 「はいっ。ありがとうございます。」
 お礼を言った綾奈の言葉が聞こえているのかいないのか、黒川の視線が書類から外れることはなかった。
 (…って、もう一人いるんだ?)
 そう思いながら室内を見渡すと、あいている席がぽつんと一つある。綾奈の斜め前の席だ。
 「あの、小山さん。」
 「ん?何かわからないことがあった?」
 『秘書の心得』なるものを綾奈に渡して読んでおくように指示した真紀はパソコンから視線を綾奈へ移す。
 「あ、いえ…。まだ来られてない方がいらっしゃるんですか?」
 「えぇ。先月入った新入り君。他部署から転属してきた人でね。入っていきなり社長秘書に大抜擢。まぁ、社長秘書には黒川主任がいるから第二秘書なわけだけど、それでも異例の抜擢だったわよ。今日は社長のお迎えで遅くなっているみたいね。それで言うなら、あなたも私の中では興味の対象だけどね。」
 「私が?ですか?」
 「そうよ。だって、いきなり新入社員で入ってきて会長秘書だもの。」
 真紀の指摘に綾奈は大きくため息をついた。
 「あぁ…。やっぱりそうなんですね。」
 できれば違っててほしかったというような綾奈の様子に真紀は興味津々で首を突っ込んでくる。
 「それはそうでしょ。いきなり会長ご指名で入社してきたんだもの。って言ってもそのことを知っているのは秘書課の人間だけだし、詳しい事情を知っているのは黒川主任くらいよ。―――でも、よかったら事情を教えてくれると嬉しいかも。」
 語尾にハートマークがついているような口調で話す真紀に綾奈は首を振って見せる。
 「それを知りたいのは私の方です。会長に直接お伺いしてものらりくらりと躱された上に『将来への投資』とか訳のわからない言葉を言われて…。」
 「ふ〜ん、『将来への投資』ねぇ…。」
 ふむっと人差し指を唇に当て、考え込む真紀に綾奈の方が逆に疑問を投げかけた。
 「それより、小山さん」
 「ん?」
 半分上の空の返事にもかかわらず綾奈は言葉を続けた。
 「何でこの会社の秘書課って男性ばっかりなんですか?―――秘書課って女性の園ってイメージがあるんですけど…。」
 「あぁ。そのことね。実は…。」
 「実は?」
 「澤井さんの前に居た先輩に尋ねたら教えてくれたんだけどね。どうもうちの社長にクビにされたみたいなのよ。」
 「クビに、ですか?」
 あまり穏便ではない言葉である。
 「あのね、うちの社長がこの会社の取締役に就任したのが9年前なのよ。その時は結婚なんて勿論してなかったし、女っ気が全くっていいほどなかったのよ。で、秘書の女性がこぞってアタックしたってわけ。しかも結婚後にも「愛人になりたい」って女性が迫るのに秘書っていうのはすごく都合のいい立場ってわけ。」
 社長に迫った秘書が次々とクビになって違う部署へと飛ばされたらしい。そして必然的に補充されるのは男性秘書になったってわけだ。
 「そうなんですか…。」
 昨日、その社長の夫人と一日過ごした綾奈だ。「幸せオーラ」全開だった玲の様子と、玲を手放しでべた褒めしていた義父にあたる滝野毅を思い出すと「さもありなん」と思ってしまう。
 「まぁ、会長のお眼鏡にかなったあなたなら、社長に色目を使うことなんてないと思うから大丈夫だと思うけれどね。一応、注意しておいてね。」
 
 少し茶目っ気を出してウインクをする真紀をして見せた。
 緊張いっぱいだった綾奈だが、真紀のそのしぐさに思わず笑ってしまう。
 (なんだか、面白そうな会社かも…。)
 ただただ真面目で優秀な人間ばかりがいるのだと思っていたのだが、真紀の存在だけでもすごく和む綾奈だった。

 10時過ぎ。
 社長を自宅までお迎えに行っていた最後の秘書がやって来た。