「ホントに気をつけなよ。っていうか、いっそのこと公表したらいいじゃない?『課長は私のものです』ってさ。」
 昼食後。
 今日は金曜日だから特別に、デザートつきのランチを頼んだので、それについているアイスを食べながら真紀が呟く。
 「―――やだ。」
 「『やだ』じゃないわよ?大体、公表したがっていないのは穂乃香の方なんでしょ?課長はいいって言ってるんでしょ?」
 「だって…。」
 「まぁ、確かにちょっと怖いことになりそうな気もするけどさ。」
 何と言っても課長には『隠れ親衛隊』なるものが存在するんだもんねぇ。と、ちょっと気の毒そうに言う。
 「―――うん。まぁ、それだけじゃないんだけどね。」
 大きなため息とともに、穂乃香はぼそっと応える。
 そのやや不機嫌そうな穂乃香の様子に、真紀はピンときた。
 「…なるほどね。公表しちゃうと穂乃香の大好きな越野課長の素敵な仕事をしている姿を直接見れなくなっちゃうもんね。」
 にっこり笑う真紀に、穂乃香はふいっと視線を反らせる。
 図星、なだけに反論できない。
 「大変よねぇ、課長みたいにかっこいい彼氏だと、色々と…。」
 「な、何よ、色々って…。」
 「だって、心配事が多そうじゃない?『隠れ親衛隊』の存在もだけどさ、何てったって、『隠れて』どころか『堂々と』課長に告白している人もいるみたいだし、さ。」
 「え゛?告白?」
 「あれ?知らなかったの?―――結構露骨にアプローチしている人が多いわよ。」
 「!!」
 やっぱりね、と真紀は分からないようにため息をついた。
 (さすが穂乃香、だわ。あれほど露骨にアプローチされているのに気付かないだなんて…。)
 それに今のところ、暁の方も全く穂乃香以外視野に入っていないみたいだし、真紀としてはそれほど気にしていない。
 (―――っていうか、課長の方がゾッコンって感じだもんね。)
 真紀は穂乃香をくどこうとしている輩を暁が密かに退けているのも気付いている。
 (ったく、素直じゃないんだから…。)
 真紀はもうひたすらため息をつくしかないと言うところだ。
 多分、暁の方は天然の穂乃香にあわせてゆっくりと進めているのだろう…。それは分かるのだが…。
 「分かるけど、課長ってば…。」
 あまりにも不器用な二人だと思うと、呆れる以外どうしようもない。
 「真紀。何か言った?」
 「え?あ、ううん。なんでもないわ。そ・れ・よ・り。一回言ってみたら?」
 「へ?」
 「『へ?』じゃないわよ。合鍵のこと。このままだとそんなに時間がたたないうちに、ばれちゃうわよ。きっと。」
 「―――。」
 「今月に入って、穂乃香と課長のことを確かめに、何人も来たんだからね、私のところに。」
 「え?」
 「最近、ちょっと噂になってるのよ、あなた達。―――だから、ばれたくないんなら、課長に言って合鍵をもらったらいいじゃない。もう付き合って大分なるんでしょ?」
 「―――そんなことない、よ。」
 「ま、どっちでもいいけどさ。とりあえず、今日の夜にでも課長に話してみなさい。分かったわね。」
 真紀はそう言うと、食べ終わった食器を返却口へと持っていく。
 そろそろ、昼休みが終わる時間だった。


 「なぁ、橘。」
 今日の就業時間を迎えた頃。
 同期の中でも穂乃香と結構仲のいい藤原が声をかけてきた。
 「あ、藤原君。なに?」
 「―――実は、さ。」
 「うん?」
 「あ、えっと…。あの、さ。今日この後、時間あるか?」
 ちょっと言いにくそうな藤原に、穂乃香は首をかしげる。
 「あ、えっと。―――ごめん。今日はちょっと無理かも…。」
 「え?あ、あぁ。いや、急ぎじゃないんだ。」
 「何?珍しいね、藤原君がそんな言いにくそうにしているのって。―――何?相談事?」
 「え?ま、まぁな。―――お前にしか言えない事なんだけどさ。」
 「何よ?新しい彼女でも出来たの?」
 「いや。そういうわけじゃないんだけど、さ…。」
 「うそうそっ。絶対恋愛がらみでしょ?」
 そういってにっこり笑う穂乃香と、やや戸惑い気味の藤原。二人の様子は急いで帰宅しようとしていた人たちの中にあって、一際目を引く。
 もちろん。
 この部署で一番大きな机で引き続き仕事をしている暁の目にも、だ。
 「こら!そこ。橘と藤原!!仕事が終わったんならさっさと帰れ!残業しているヤツの邪魔だ。」
 暁の不機嫌な声に逸早く反応したのは穂乃香だ。
 「す、すみません。課長…。―――週明けとかは無理かな?」
 やや小さな声で問う穂乃香に、藤原が小さく頷いた。
 「あぁ。すまないな、突然呼び止めて。じゃぁ、月曜日な。」
 「うん。また月曜日ね。」
 笑顔でそう微笑むと、穂乃香を待っている真紀の方に走っていった。

 それを暁が冷ややかに見ていたのだった。
 


  「うん。こんなもんか・・・。」
 穂乃香は今ではもう自分の勝手のいいように置き換えている暁のキッチンからダイニングテーブルを見渡した。今日はカレイの煮つけと、お味噌汁。菊菜の煮びたしとサーモンのサラダ。そんなに大変ではないが、品数的には自分の満足のいくものだった。
 先ほど暁に叱責されたからというわけではないが、いつも以上に丁寧に料理を作ってみたのだ。
 (だってあれは仕方ないもんね。)
 自分たちはすぐ帰れるのだが、あの場に数名、まだ残業しなければならない人たちがいたのだ。それを考えるとどう見ても自分たちが悪い。
 「あとは、暁さんが帰ってくるの待ち、だよね。」
 食事にはちょっと合わないのだが、野菜ジュースも作っている。普段、外食の多い暁はどうしても野菜が不足しがちなのだ。週に3回の食事で十分に野菜を取ってほしい穂乃香だった。
 (でもでも、なんだか新婚さんみたいだよね?こんな風に暁さんの体を心配しているだなんて。)
 暁が帰ってくるのをご飯を作って、お風呂とパジャマの用意をして待つ自分に思わず酔いしれてしまう。
 「お帰りなさい。ご飯を先にする?それとおお風呂ですか?」
 「それはやっぱりご飯かな?穂乃香の作ってくれたご飯は美味しいからね。暖かいうちに食べようか。」
 「そ、そんな。美味しいだなんて///」
 「いや、本当だよ。穂乃香の手料理をこんなに食べられて、俺は幸せだよ。」
 「ま///、暁さんったらっ。」
 そんな一人芝居をキッチンでしてしまうのも仕方がない。
 ―――の、だろうか?

 「ひゃっ。恥ずかしいわ。」
 このまま放っておけばどんどん自分の世界に入っていきそうな穂乃香であった。
 ピンポーン。
 暁は毎週、自分の鍵を穂乃香に預けているので、このマンションの1階で一度、インターフォンを鳴らす。もうそれが当たり前のようになっていた。
 「は〜い。」
 インターフォンに出てみると、画面の向こうで嬉しそうに微笑んでいる暁の姿があった。
 「あ、すぐあけますね。」
 言葉の後ろにハートアークが飛びそうなほど嬉しそうに笑って穂乃香は施錠を解除する。
 その2分後。戸をあけた向こうに暁本人が満面の笑顔があった。



 「ただ今。穂乃香。」
 そう言って暁のその腕に穂乃香は本当に安心したように飛び込んだ。
 「お帰りなさい。」
 穂乃香の体を優しく抱きしめたまま、暁は後ろ手に玄関の扉をゆっくり閉める。
 二人きりの週末がまた始まろうとしている。

                         
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