「―――香っ。穂乃香っ、いい加減起きろ。」
ペチペチと自分の頬を打つ感触が眠りについている穂乃香の意識を呼び戻した。
(――-もぅ、もう少し…。)
昨日の夜は、一度目覚めてからしばらく寝られなかったこともあり、再び眠りにつこうとする穂乃香だが、穂乃香の頬を打つ感触は一向にやめる気配がない。
両手で払いのけても払いのけても、しつこく穂乃香の頬を叩く。
「―――んっ…。」
小さな声とともに瞳を開けた穂乃香の目の前に、暁の顔がある。しかも息がかかりそうなほど至近距離だ。
「わっ。課長?!」
ごちん。
驚きのあまり、飛び起きた穂乃香の頭が見事、暁の顎にクリーンヒットを飛ばす。
「―――ったっ。」
目から火花がでるとはまさにこのことだ。
そう思わず呟いた穂乃香だが、暁の方が衝撃がすごかったらしく、顎を押さえて下を向いたままだ。
「すっ。すみません、課長!!」
大丈夫ですか?とばかりに覗き込む穂乃香に、暁はうっすらと目を開けた。その暁の目に映ったのは、心配そうに覗き込む穂乃香の真剣な瞳と、誘うように少し開かれた赤い唇。
ちゅっ。
暁の唇が、心配げにやや開かれた穂乃香のそれに軽く音を立てて啄ばむ。
「なっ///。」
「大丈夫だ。心配かけたな。」
そういって嬉しそうに微笑む暁に対し、穂乃香の方は今の突然の行為に唖然とした様子だ。
「なっ、何するんですか?!いきなり!!」
それもそうだろう。心配で心配でそばによった自分に突然のキスがやってくるなど思いもしなかったのだ。
「え?何って「接吻」だよ?」
しれっと応える暁に穂乃香は瞬く間に部屋の端へと逃げ込んだ。しかも「キス」ではなく、「接吻」というのが、妙に艶かしく穂乃香の耳に響いた。
「それは分かってます!!私が聞きたいのは、その理由ですよ!!」
「可愛かったから。」
「はぁ?」
「穂乃香があまりに可愛かったから、俺からの愛情表現だよ。」
恥ずかしいそぶりを見せずに応える暁に、思わず脱力する。
「―――言ってて恥ずかしくないんですか?」
「全然。何度も言ってるけど、これが俺の本当の気持ちだしね。」
当然のように応える暁に、二の句も告げない。
だが、聞きたいことはそれだけではなかったことを穂乃香は不意に思い出した。
「そ、そうだ。課長。この部屋にどうやって入ってきたんですか?」
確か穂乃香のあまり覚えのよろしくない記憶では、この部屋は内側からしか鍵が開かないと言ってた筈だ。
「どうやって?そんなの決まってるじゃないか。部屋のドアから普通に入ってきたけど?」
他にどうやって入ってくるんだとばかりに応える。
「それは分かってますよ。でも、この部屋。鍵がかかってた思うんですが…。」
「あぁ。かかってたけど?」
「ですよね?で、この部屋のドアをどうやって開けたんです?」
そう尋ねる穂乃香に、暁は先ほど手に持っていたこの部屋の鍵を嬉しそうに見せびらかした。
「そんなの、決まってるだろ?この鍵を使ってだよ。」
シルバーに光る鍵を得意そうに掲げて見せた。
「っな…。この部屋の鍵はないって前言ってませんでした!?」
「あ?そんなこと言ったか?」
「はい。言いました。『この部屋は外からは開けられないから、ゆっくり時間を過ごせる』って。」
コレだけは間違いないと断言するように話す穂乃香にくすっと笑う暁。
「あぁ、それね。この部屋の鍵はちゃんと仕舞ってるから、外からは開けられないっていう意味だったんだけど、ちょっと説明不足だったのかもな。」
「………。」
(絶対、わざとだ!!)
今までの暁の所業を思い返しても、彼が言い忘れるだなんて事はありえないだろう。
暁の応えに沈黙した穂乃香に、暁は畳み掛けるように口を開いた。
「あ、因みに今日でペナルティが9個になったからな。」
「へ?」
「昨日までは6個だったし、しかもここ1週間は全く『課長』って言うことがなかったから、ペナルティはもう発生しないかなってちょっとがっかりしてたんだが、さっき3回も連呼してくれたんでね。今日で9個目。早くもう一回『課長』って呼んでくれるのを楽しみにしているから。」
そう嬉しそうに微笑んだ。
どんなに穂乃香がパニックになっていても、冷静な目で物事を見ている。
やっぱり暁は、どこまでいっても越野暁だった。
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