がちゃ。
 穂乃香が閉じこもって30分。
 暁は手に持った寝室の鍵でそっと部屋の中に忍び込んだ。
 
 (おや?)
 その寝室のど真ん中に位置するベッドには穂乃香の姿は見当たらない。かといって、穂乃香が部屋を出ていないのは、暁がずっと寝室の入り口に注目していたので間違いない。
 (どこだ?)
 陽がさんさんと降り注いでいるこの部屋には一見、暁以外に誰もいないように静かだ。
 だが、ベッドの脇。
 入り口からはやや死角になる位置で暁が穂乃香用にと買ったピンクのクッションを抱いて、彼女はいた。

 ―――但し、起きてはいなかったが。

 よほど怒りつかれたのであろう。
 クッションを抱いて健やかに眠る穂乃香に、暁は思わず苦笑をする。
 (俺をこんなにやきもきさせて、自分はしっかり寝てるんだから、な。)
 そう思うと、穂乃香は思わず苦笑してしまう。 

 なんのかんのと言って、穂乃香に惑わされている自分の姿がおかしく思えるのだ。


 今まで、全く女性と付き合ったことがないわけではない。
 と言うより、きっと普通の男性の平均よりは若干多いかもしれない。と自負している。
 学生のころから人当たりがよく、容姿も学歴も良かった暁は、はっきり言って自分から女性に行動を起こしたことはない。
 何もしなくてもあちらから寄ってくるからだ。
 そして寄ってきた女性のなかで自分が好ましいと思った女性と適当に付き合ってきた。しかも、別れてもすぐ次の女性が現れる。はっきり言って会社で穂乃香と出会うまでは、女性に事欠かない生活をしていたのだ。
 自分の本当の姿を知る仲のいい友人たちからは、
 「お前、絶対世間を騙してるよな。」
 「いい加減、そんな中途半端な付き合いはやめろよ。」
 「毎回、会うたびに違う女を連れているから、お前に紹介される度に、その女がかわいそうになるよ。」
 等々、言われ放題だ。
 はっきり言って自分からモーション(死語)をかけたのは、穂乃香が初めてだった。
 (こんなに大切にしているのもか…。)
 そんな自嘲する言葉がふと頭の中によぎる。
 今まで付き合ってきた女性のなかで、こんなに手を出さなかった女性はいなかった。
 その為に付き合っているのだから…。
 暁はそれが当たり前だと思っていたのだ。

 だがしかし。
 穂乃香の場合はちょっと違うのだ。
 (大切にしてやりたい。)
 彼女の顔を見るたびにそんな風に思ってしまう。
 

 暁は、ベッドの脇でクッションを抱えたまま眠る穂乃香の身体をそっと持ち上げると、ベッドの上に移し、上からそっと毛布をかけてやる。


 「大切、なんだよ。穂乃香。」
 分かっているのか?と言わんばかりに耳元で囁く暁の声が聞こえたかのように、穂乃香はベッドの中で幸せそうに微笑んだ。
 「ふっ。」
 こんな風にまるでお姫さまを守る騎士のごとく穂乃香を大切にしている今の自分の姿を見たら、気の置けない友人たちはどんな反応を見せるのだろうか?
 そんな問いがふと自分の中に生まれてくる。
 (まぁ、まだ奴らには会わせないけど、ね。)
 本当に心身ともに自分のものだと主張できない今は、友人になど会わせるだなんてことは全く持って考えられない。
 それくらい、大切な失うことの出来ない存在なのだ。

 無理やり付き合うことになったと多分穂乃香は思っているだろう。
 (―――俺が穂乃香と二人きりになってくどくチャンスを窺っていたなんて、思いもしなかっただろうな。)
 暁は穂乃香が自分の部署に配属された時から、穂乃香の事を好きになった。
 いわゆる『一目ぼれ』と言うヤツである。
 だがそれは、彼女の容姿に惹かれたわけではない。
 もちろん、穂乃香もそれなりにきれいな容姿をしている。いや、きれいというよりもむしろかわいいと言ったほうがいいのかもしれない。
 とはいっても、穂乃香以上にかわいい容姿の女性やきれいな女性といやというほど付き合ってきたのだ。
 容姿が中身と決して比例しているわけではないことは、自分を例にたとえても分かるだろう。

 穂乃香の純粋な心。
 それに惹かれたのだ。

 勿論、そのことに気付いていたのは暁だけではない。
 他に穂乃香の気付かないところで穂乃香に手を出そうとしていた男性たちをことごとく撃退して、密かにチャンスを待っていたのだ。

 そう。
 穂乃香が高志に振られたあの日。
 絶好の機会が訪れたって訳だ。

 (―――本当のことを知ったら…。)
 たまに、無垢な穂乃香を見ていると、罪悪感にかられることがある。
 高志と破局したあの時、思わず心の中で喜んだことを。
 そして。
 


 ―――自分がまだ穂乃香を本当の意味で抱いたことがないのに、彼女を騙していることを…。

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