(もう、ぜーったい、絶対。口利かないもん!!)
今朝のやり取りですっかり機嫌を損ねた穂乃香は、洗物を済ませた後、一目散に寝室へ入るなり鍵をかけた。
(確かこの寝室。外からは開けられないはず!!)
前にちらっと暁がそんなことを言っていた気がする。
だからこそ、この寝室に逃げ込んだのだ。
「―――穂乃香?」
いつものとおり、食後の後片付けを済ませたらそのまま自分いるリビングに来ると思っていた暁は、寝室に駆け込んだ穂乃香にびっくりして後を追ってきたのだ。
コンコン。
「穂乃香?どうかしたのか?」
「……・・・。」
ドア越しに声をかけるが返答が返ってこない。
コンコンコン。
「おいっ、穂乃香?!聞こえているんだろう?」
「・・・・・・・・・・・・。」
さらに沈黙、である。
ドンドンドンドン。
「穂乃香!!」
多少苛立ちまぎれに怒鳴る暁の言葉に返答があったのはそれから5分たったころだった。
「今日は、暁さんとしゃべらないもん!!」
ぼそぼそっと、暁に聞き取れるか聞き取れないかというようなか細い声が返ってくる。
「穂乃香?」
先を促すような暁の言葉に、穂乃香はさらに続けた。
「今日の暁さんはとっても意地悪だったじゃない。だから絶対口利かない!!」
まるで子供の言い分、である。
「穂乃香。子供じゃないんだから…。」
「どうせ、28才の暁さんから見たら、22才の私なんて、子供です〜っ。」
そう言ったっきり、穂乃香はどんなになだめても部屋から出てこなかった。
*****
(―――参った…。)
何度呼びかけても、天岩戸よろしく一向に出てくる気配がない。
(ちょっと悪ノリしすぎたかな…)
暁はリビングのソファに深く腰をかけて大きくため息をついた。
実は暁は、普段の穂乃香からは想像できないほど甘えてきたり、今回のように突然子供のような態度をとる穂乃香を決して嫌いではない。いやむしろ、そんな自分にしか見せない姿を見せる穂乃香がとっても気に入っていたりするのだ。
ただ、なだめてもすかしても怒ったまま寝室に閉じこもるという行動に出られるとは思ってもみなかったのだ。
(せいぜい、リビングにきてむくれる位だと思っていた。)
見通しが甘いといえばそれまでなんだが、それはそれで穂乃香が甘えてくれているというわけで嬉しいと感じる自分も存在するわけで…。
「―――溺れてるな…。」
そんな言葉がつい口をついて出てくる。
これが穂乃香以外の女だったら、寝室になんか閉じこもった時点で、とっくにマンションから追い出していただろう。それなのに、同じことをするとしても、相手が穂乃香だとそれが『甘えてくれている』と捕らえてしまうのだ。
これは『溺れている』以外の何者でもないだろう。
―――だが、このまま無為に時間を過ごすわけには行かない。
それが正直な暁の感想だ。
まだ今日は土曜日だが、明日が終わればまた一週間。穂乃香は暁のただの部下に戻るのだ。
(いっそ、公表できたら・・・。)
と思う。
実は穂乃香は同会社の男性社員の間では密かに知られた存在だったりする。少なくも暁の知っている範囲で3人は穂乃香に思いを寄せているのだ。それも遊びとかではなく…。
容姿はずば抜けていいわけでは決してないのだが、穂乃香のかもし出す雰囲気と彼女の気立てのよさが、実は密かに男性社員に好感を持たせているのだ。それも真剣に…。
だから、今回付き合うことになった時、暁はすぐに公表したかった。そうしてある意味、不特定多数の男性陣にけん制してやりたかった。だが、『出来たら内緒で…。』と言われたとき、初めは暁もいい顔をしなかった。
頭の中で『公表しない=知られてはまずい人間がいる?』という図式がふと頭の中によぎったからだ。
だがよくよく考えてみると、それほど悪い話ではないことに気がついた。
穂乃香との間が公表されれば、必然的に穂乃香の部署移動は避けられないだろう。
いくら社内恋愛にオープンな会社であっても、恋人同士の男女を同じ部署に置いておくほど寛容なことはない。
現に、暁の同期のヤツも社内恋愛が公表されたとたん、彼女のほうが部署を移動させられたのだ。
その点。今のままだと、公表できない代わりにいつでも穂乃香は自分の近くにいるし、ノコノコやってきた男どもを追い払うことが出来るのだ。損して得をとれとはこの事だ。
とも思う、のだが…。
今はそんなことどうでもいい話だ。
それよりも急を要するのは・・・。
(どうする?このままでは貴重な穂乃香との時間が・・・。)
色々手はある。
例えば部屋の前に陣取って穂乃香がトイレか何かで寝室に出てくるのを捕まえる。
―――嫌、それだといつになるか分からないな…。
例えば今日のことを謝る。
―――これも却下だ。ここで謝ればきっと許してはくれるだろうが、これからはあんなふうに穂乃香をからかうことが出来なくなる。(穂乃香をからかうのは、ある意味暁からの愛情表現だったりする。穂乃香にとっては迷惑なことこの上ないが・・・。))
そうなると…。
暁はリビングの引き出しからとあるものを取り出した。
キラリ。
窓の隙間から入る日差しが、暁の手の中にあるものを鈍く光らせた。
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