―――俺たちも、付き合ってるんだ。穂乃香が今付き合ってる彼氏との事で悩んでたんだ。なんて説明すればいいのかってね。

 先ほどの越野の声が何度も何度も意味も理解できないまま、穂乃香の耳にこだまする。
 今、穂乃香に理解できるのは、越野にキスをされたことと、それを高志に見られたこと。そして何よりもその越野の行為を抵抗もせず容認している自分がいることだけだった。


*****


 (……頭が痛い…。)
 短大時代以来、真紀と呑んでなった以来の二日酔いだ。
 せっかくの睡眠も痛む頭痛で眼が覚めた。

 「……ココ、ドコ?」
 眼を開けると見慣れない天井が眼に入る。いつも寝る自分の部屋じゃない。かといってどこかのホテルって訳でもないようだ。
 (―――と、とりあえず、路上じゃないことは確かなんだけど…。)
 路上どころか、ふかふかのベットの上にいることだけは間違いない。
 (??)
 ベットの中から注意深く周りを見渡した。とりあえず認識できたのは、この部屋が8畳くらいの大きさで、このダブルベット以外は最低限と思われる家具しか置いていないこと。この部屋には自分ひとりしかいないこと。そして何よりも、ベットの脇に脱ぎ散らかした自分の衣服。―――そして、下着。
 (え゛…。嘘?!)
 その時初めて自分が何もつけていないことに気がついた。
 (な、何?!どうなってるの!!)
 穂乃香は痛む頭を抱えつつ、昨日のことを思い出していた。
 (―――昨日は課長と居酒屋に行って、…そっか、高志くんに会ったんだ。)
 昨日、高志と別れた後のことはほとんど覚えていない。
 (…課長が慰めてくれてたんだっけ。)
 つい昨日までは胡散臭いと思っていた課長に慰められた事に、少々落ち込みを感じる。
 (―――って、そんな場合じゃないわっ)
 ベットに潜り込みかけた穂乃香はがばっとタオルケットを剥ぎ取った。
 (何をやってるの、私は?!)
 ゆっくりこんなことをしている場合じゃない。
 昨日何があったにせよ、取り合えず…。
 「取り合えず逃げるべきよね?!」
 何がなんだかよく分からない状態で、これは正しい判断だと思った穂乃香は、ベットから完全に出て脱ぎ散らかされた服を身に着けるべく下着に手を伸ばした、その時―――。

 「あ、起きたのか?」
 寝室の出入り口として存在している唯一のドアが開き、そう声をかけて来たのは越野暁だった。
 しかも、バスローブにバスタオルで頭を拭くというおまけつきで…。
 「かっ、課長っっ!!どうしてここに?!しかもそんな格好で!!」
 そう意気込んで聞き返す穂乃香に、越野は可笑しそうに笑って見せた。
 「そんな格好って、お前の方がすごい格好だけど?―――まぁ、眼の保養になるから俺としてはかまわないんだけどね?」
 越野の言葉に穂乃香は今、下着すらつけていない格好で裸体を越野に見せ付けていることを知り、急いでまたベットに逆戻りとなる。
 「―――か、課長?昨日私、何か課長にしました?」
 タオルケットを頭までひっかぶってからちょこっと頭を出し、穂乃香は小声でそう尋ねた。
 「憶えてないんだ?」
 嬉しそうに問いかける越野に穂乃香は小さく頷いた。
 (ど、どうしよう。全く憶えてないよぉ〜っ。)
 「課長に慰められたまでは憶えてるんだけど…。よ、よもや私、課長と寝てないです、よね?」
 考えている言葉が途中から不意に口に出てくるのは、穂乃香にとってはいつものこと。そして、本人はまったく気がついていないのだ。
 そんな穂乃香に越野が意地悪く笑いつつ、穂乃香が隠れているベットにそっと腰を下ろした。
 「へぇ?まさか昨日の事、覚えてないとか言うんだ、穂乃香は?」
 その言葉に、ギギギと音が鳴るのではないかと思われるほどぎこちなく、穂乃香は越野の方を振り返った。
 (し、しかも、穂乃香ってなに〜っ?昨日まではちゃんと『橘』って呼んでたよね?)
 とは思うのだが、そんなこと、恐ろしくて聞けない…。
 「…昨日のことって?」
 「―――昨日、穂乃香は俺の腕の…。」
 「ぎゃぁ〜っ、や、止めてくださいっ。課長!!」
 再びタオルケットの中に身を沈めていく穂乃香に、越野はタオルケットをがばっと剥いだ。
 「穂乃香。昨日俺のこと名前で呼ぶように言った筈だよ?」
 無理やり出さされた穂乃香の眼には、嬉しそうに笑う越野の顔が映った。
 「なっ、名前で呼ぶって…。」
 昨日のことなど全く覚えていない穂乃香としては、何のことだか当然全く分からない。
 「俺は、付き合う気のない女性とはベットを共にしない主義だ。穂乃香にも何度も昨日のうちに言及したはずだけど?」
 「―――付き合うだなんてっ。そ、そんな事言うわけないですよ!!」
 「そんな事言うわけないってなんで、言い切れるのかな?―――覚えてないんだよね?」
 「―――そ、そりゃそうですけど…。」
 「じゃぁ、俺の言うことが嘘だといえる確証はないわけだ。」
 おずおずと頷く穂乃香に、越野は悪戯っぽく微笑んだ。
 「じゃぁ、俺の言うことが正しいってわけで、いいんだよね?」
 反論しようとする穂乃香に神々しい笑顔を向ける。
 「ってことで、穂乃香は俺を名前で呼ぶんだよ?」
 「そ、そんな…。」
 「穂乃香は俺の言うこと否定できないだろ。それに対して俺は穂乃香と付き合うことになったと断言できる。つまり俺たちは付き合うことになったって言うことになる。」
 「―――そ、そんなっ。覚えてないときのことを言うなんて、横暴です!!」
 「へぇ?じゃぁ穂乃香は、覚えてないからといって約束を反故にしていいって思ってるわけだ?」
 そう言われると反論の仕様がない。
 「――――――それは、思ってはないですけど……。」
 「じゃぁ、決まりだ。それから、俺のことは『暁』と呼ぶように。」
 「へ?」
 「へ?じゃなくて。俺たち付き合っているのに会社の外でも『課長』と呼ばれるのは俺は気に食わない。仕事とプライベートを分けないヤツは、俺は嫌いだよ。」
 「で、でも…。」
 「でも、じゃない。言ってみて?」
 「えっと…。『暁』…さ、ん?」
 「『暁』だ。」
 「『暁』―――さん…。」
 「穂乃香っ!!」
 「―――だ、駄目です。言えないですっ。」
 「―――わかった。仕方ない。暁さんで我慢しよう。……それより朝食にしよう。着替えたらリビングにおいで?」
 「分かりました。」
 そう返事をする穂乃香に越野はかすかに眉間に皺を寄せた。
 「それから、敬語はやめるように。なんと言っても俺たち付き合ってるわけだしね。」
 「は、はいっ。―――じゃなくて、うん。」
 『はい』と言ったところでにらまれた穂乃香はにらんできた越野をみてすぐに言い直した。
 「いい返事だ。じゃぁ、早くするんだよ?」
 
 極上の笑顔を見せて、越野は寝室をあとにした。

 部屋には今一事情が飲み込めないまま、呆然としている穂乃香の姿があった。

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