『もう、アーサーの下にはいられない。』

 それが、ソフィアの出した結論だった。
 アーサーがソフィアがずっと待っていた『騎士』の弟だったからではない。否、厳密にはそれも関係ないとは言い切れないが何よりもソフィアを居たたまれなくさせる原因はアーサーのこれまでその事を隠していたアーサーに対する不信感だ。
 
 ―――裏切られた。
 
 それが、ソフィアをこの邸から出て行かせる原因なのだ。
 色々、アーサーには言いたいことがある。
 言ってやりたいことは、それこそ山のように。
 
 だが、ソフィアが出て行く一番の原因はそこに起因しているというのも過言ではない。

 信じていた。
 そんな普通の夫婦みたいなことはソフィアは思わない。
 そんな普通な夫婦関係では決してなかったからだ。
 だが、
 それでも。
 よもや、自分の大切だった想い出をこんな形で傷つける人とは思ってもいなかった。

 「…せめて、せめてそれなら、もっと早くに教えてくれていたら…。」
 ぽつん、と。
 そんな言葉がソフィアの口から漏れた。
 誰もいない静寂の広がる部屋の中、その言葉はソフィアが思ったよりも大きく、響いた。

 ―――面白がって、陰で笑っていたんだわ。
 そう、思う。
 そう思ったら、涙が出た。
 「多分」ではあるけれど。それ以外にアーサーがソフィアに何も話さないでいる理由など見当たらないのだから。

 
 そんなもやもやした気持ちのまま荷造りをしているときだった。部屋をノックされたのは…。


******


 「はい。」
 出来るだけ、感情を押し殺して返事をする。そして、同時に。頬を伝う涙を右腕でぬぐった。
 しばらく待つが、応答はない。
 「?」
 「誰?どうぞ、開いてます―――」
 ―――けど、と言う言葉は紡げなかった。あまりにも驚いて…。

 「ソフィア…。」
 入り口でそう言ってソフィアの瞳をまっすぐに見つめるのは、アーサーだった。
 「だんな様?」
 そう問いかけたのは、目の前で行われていることが信じられなかったから。
 アーサーが深々と頭を下げているのだ。
 この男社会、貴族社会で夫が妻に頭を下げることなんてまずありえない。それは、世間知らずのソフィアでも知っていることだ。
 「ソフィア。次兄のことを黙っていたのは本当にすまない。だが、分かってほしい。本当に面白がったり、軽蔑したりしてのことではないんだ。」
 下を向いたままそう話すアーサーにソフィアは疑わしげな視線を向けた。
 「では。」
 「え?」
 「では、どうしてですの?だんな様が騎士様の弟君でらっしゃることをどうして私に黙ってらっしゃったんですか?笑うためとかでないのなら、ちゃんと意味があるんですよね?」
 それいかんによっては出て行く、と、言外に告げている。それをアーサーも感じ取っていた。
 「―――言えなかった、のだ。本当のことは…。」
 「え?」
 「ソフィアに『迎えにいく』と誓ったであろう次兄は、父にその事を告げてまもなく亡くなったんだ、病気で。最後までソフィアを迎えに行くことばかり考えてた。」
 それは、ソフィアの知らない、彼女の騎士の最後の姿だった。
 「―――ご病気だったん、ですか?」
 「あぁ。伝染病だった。それからまもなく、他の兄も父さえも亡くなって、私一人が生き残ったんだ。」
 思い出すのも苦しいだろう想い出。
 アーサーはそれをぽつぽつと語り始めた。それは、ソフィアの知らないシュメール侯爵家の歴史だった。