真夜中。

 もう式が終わって何時間も経っている。本当であれば、新婚初夜だ。花婿がいそいそと花嫁の待つ寝所に向かい、情熱の時間を過ごしているはずの、時間。
 アーサーはじりじりと時間が過ぎるのを自分の寝室で過ごしていた。
 (きっと、気がついているだろう。私が、ソフィアを抱く意思がないことを…。)
 
 当初の計画であれば一度寝所を訪れて、自分の事・兄の事。そして、自分の考えを伝えるつもりだったのだ。だが、それも、相手がソフィアと分かるずっと前のことだ。
 
 
 ―――夜。ソフィアの待つ寝所に行って彼女の姿を見ると、それだけでは終わらないような気がする。


 きっと、自分の理性は欲望に負け、兄の墓前に誓ったことさえ忘れてソフィアを抱いてしまうだろう。「きっと」じゃなく「絶対」に…。それが分かっているからこそ、アーサーはソフィアの寝室においそれと訪れることは出来ない。
 (どうして、兄上の思い人が彼女だったんだろう。彼女でさえなければ…。)
 そんな逆恨みさえ覚える。だれが悪いわけでもない。ただ、めぐり合わせが悪かったのだ。

 そんなことを悶々と考えているアーサーが一睡も出来るはずがなく、ただまどろんだだけで朝を迎えた。


******

 
 翌朝。
 ソフィアと顔を合わせて気まずい思いをしたくないアーサーは、いつもより早起きをした。
 『何故、昨夜は来て頂けなかったんですか?』
 そんな事を聞かれるのがとても苦痛だった。
 (ソフィアは、私が来なかったことをどう思っているのだろう。)
 そう思う。
 恨み言を言われるのも耐えられないが、もしソフィア自身は案外なんとも思ってない様でもアーサーにとって、それはそれで耐えられないことだった。

 アーサー自身。自分の心の中が図りかねている。だから、今日はソフィアに顔を合わせなくて済むように、遠出をしようと思っているのだ。
 
 コツコツコツ。
 アーサーはいつものようになんでもない風を装って下に下りていく。
 いつもの朝ごはんは8時からだが、1時間以上早く降りて行っても、厨房ではすでに使用人が働いているはずで、何がしかの食事を用意するなど造作もないことだろう。

 「アーサーの生活が落ち着くまではと、夫に言ってこちらを管理していますの。」
 「私はなんとお呼びしたらいいですか?マルヘイユ夫人でよろしいかしら?」
 「ええ。そうね。そう呼んでいただける?」
 そんなやり取りが階下から聞こえてくる。ソフィアとマルヘイユ夫人の声だ。
 
 (…ソフィア。もう起きているのか?!)
 ソフィアの顔を見たくなくて早起きしたはずのアーサーだが、彼の花嫁はどうやら早起きらしい。
 会いたくはない。
 かと言ってもう一度寝室に戻ることは出来なかった。というのも、アーサーを見つけた使用人たちが彼に向かって頭を下げているからだ。
 「おはようございます。アーサー様。」
 執事の声に軽く頷くと、アーサーはソフィアとマルヘイユ夫人が座る食堂へと入っていった。

 「おはようございます、だんな様。」
 「あら、おはようございます。アーサー。」
 二人の挨拶に、アーサーは軽く返事を返す。
 その頃には、三人の席に温かな朝ごはんが用意されていた。


 「今朝からしばらく、各荘園の運用の様子を見に行ってくる。」
 唐突なアーサーの言葉に、ソフィアの手がふと止まる。
 「今朝からですか?」
 「あぁ。この結婚の用意でここしばらく行けていなかったからな。」
 「まぁ。そんなに急がなくてもいいんじゃありません?アーサー。まだ昨日式を挙げたばかりではありませんか。」
 「いえマルヘイユ夫人。そういうわけにも参りません。私は侯爵の地位を受け継いでそんなに日が経っていないのですから。」
 そうきっぱり答えるアーサーを見るソフィアの目には、ハッキリとした非難の色が見える。だが、アーサーとしても彼女に何も出来ないまま、一緒に暮らすのは一種の拷問だ。そんなところにあまり身を置きたくない。
 「そうですか。分かりました。今回の旅がだんな様にとって心地よいものになることを日々祈っておりますわ。」
 ソフィアはそう告げると、静かに席を立った。

 残されたのは、アーサーとマルヘイユ夫人の二人だけだ。
 そして、マルヘイユ夫人の瞳にもはっきりと非難の色が映っていた。