ソフィアを失ってしまった…。
 自分の殻に閉じこもっている間に…。

 アーサーはそう思うだけで、一気に食欲を失ってしまった。
 
 カタン。
 そのまま静かに席を立ち、食堂を出ようとするアーサーに追い打ちをかけるように、マルヘイユ夫人の冷たい声が聞こえてくる。

 「お食事は、お食べにならないんですか?」
 振り返ると、先程と同じ表情のままの夫人がいる。
 「あぁ。朝食はいらない。」
 「まぁ。そうですの?こんなに美味しい朝食ですのに。」
 「食欲が…。ないんだ。」
 いつもより幾分か低い声で答える。
 「そうですか。―――そうそう、奥方様のことですが、どうなさるおつもりですか?」
 「どうする、とは?」
 「まさか、このまま、というわけには参りませんのよ。ソフィアさんが帰ってしまった以上、ソフィアさんを迎えに行くか、それとも新しい奥方様をお迎えになられるか。どちらにしても…。」

 バン!!

 アーサーが叩きつけた食堂のドアの音が、響く。


******


 アーサーはそのまま書斎に籠もった。
 『それとも新しい奥方様をお迎えになられるか…。』
 マルヘイユ夫人の言葉は、アーサーの心を深くえぐった。
 他の女性など、妻に迎える気はない。
 そう、言いたかった。
 そう、言わなければならなかった。
 それが、アーサーの真実の想いだから。

 だが。
 次兄への念が、やはり邪魔をしてしまう。
 (このまま、いっそソフィアのことを忘れられたら…。)
 そう願う思い。
 このまま、手に入れることが出来ないのなら、彼女を本当の妻に出来ないのなら。
 ソフィアのためにも、いっそ『婚姻無効』という形をとったほうがいいのかもしれない。
 まだ、床をともにしていない。
 だからこそ、離婚ではなく婚姻無効という形をとることが出来るはず…。
 (手に入る位置にいるからこそ、欲しくなるのだ。)
 そう、昔の人が言ったかどうか知らないが、アーサー自身はそう思う。昔は、ソフィアと再会するまではここまで気持ちが波打つこともなかった。
 手に届く位置に居るからこそ、欲しくなるのだ。
 (だが、もし。…もし、ソフィアを手放せば、ソフィアは何れ他の男のものになるのだ。)
 それだけは、確信を持てる。
 確かに、彼女の実家は貧乏だし、子爵の地位があるとはいえ貴族社会のその端っこに何とかしがみついているだけの存在に事足りないだろう。
 ―――だが、ソフィアにはそれを何の問題ともしないほどの優しさと、美しさ。そして人を惹きつけんばかりの心がある。
 (それは、この邸の誰もが感じていた。)
 でなければ、あんなに冷ややかだった周りがこれほどに変わるだろうか?
 マルヘイユ夫人が、あそこまで態度を豹変させるだろうか?

 否。
 答えは分かっている。
 先程のマルヘイユ夫人の態度は、露骨にアーサーを非難していた。『新しい奥方』など、迎える気はないとそう物語っていた。
 そして。
 アーサー自身もそう思う。
 ソフィア以外の女性を妻になど出来ようはずがなかった。

 では、どうするか?

 答えは一つ。
 ソフィアを迎えに行くのだ。迎えに行って彼女に謝罪し、そして戻ってきてもらう。
 今度こそ、アーサーの本当の妻として…。


 アーサーはそう思い立つと、ソフィアを迎えに行くために立ち上がった。