朝。降りていくといつもいる姿がなかった。
 食堂には、アーサーより早起きのマルヘイユ夫人がいるだけだ。かと言って、ソフィアがアーサーよりも遅くに起きてきたことなど一度もなかった。
 (?)
 マルヘイユ夫人はいつもと変わりない様子で、テーブルについている。
 「………。」
 「あら、おはようございます。侯爵様。」
 「―――あぁ、おはよう。マルヘイユ夫人。」
 テーブルに着くと、やはりいつもと同じように返事が返ってくる。まるで、ソフィアがこの席にいないのが異常じゃないかというように。
 アーサーが席に座ったのを見計らって、食事が運ばれてきた。
 ここでも、やはり皆は変わりがない様子だ。
 (何を、隠してるんだ?)
 そんな疑問がわきあがる。
 『ソフィアがいない』
 そのことがまるで当たり前かのように皆が振舞うのだ。

 結婚当時なら、ありえた事だろう。
 ソフィアが自分の主人の位に似つかわしくない、『子爵令嬢』だということだけで、判断されていた当初なら。だが、女主人として認められるようになった今、前のようにソフィアのことを軽んじている様子など全くなかった。
 それなのに、この朝食の時間にソフィアがいないという事を誰も気にしていないようなのだ。

 「―――マルヘイユ夫人。」
 「何でございますか?侯爵さま。」
 まるで何か聞かれるようなことは何もないかのようなマルヘイユ夫人の態度だ。
 (…病気か何かなんだろうか?)
 それであれば、ソフィアがこの席にいない事がおかしい事はない。
 ―――だが、それだって、マルヘイユ夫人はアーサーに話すはずだ、それもすぐに。
 では、何故だろう?
 
 「侯爵さま?何か御用でしょうか?」
 不思議そうに問いかけるマルヘイユ夫人に一瞬、聞くのを止めようかと思ったのだが、いつまでも心の中にモヤモヤしたものを抱えたまま仕事をするのは落ちつかない。
 「マルヘイユ夫人。奥方はどこに?」
 「奥様ですか?」
 「あぁ。風邪か何か病気なのか?」
 マルヘイユ夫人は、小さくため息をついた。
 「―――奥様は、もういらっしゃいません。」
 「は?」
 「奥様は、昨夜遅くお暇されました。私の部屋に直接来られまして。」
 「な、何を?!」
 言っているのだ?
 「っ、私はそんな話は聞いていないぞ!!」
 「はい。存じております。ですから、私が今ご報告させていただいているのです。」
 「――――――…。」
 いつも、確かに穏やかではない気性のマルヘイユ夫人だが、今は完璧に怒っているようだ。普段は見せない慇懃無礼な様子にアーサーは顔をしかめた。
 「侯爵さま。こう申しては何なんですけど、奥様に対する侯爵さまの態度には私は解せません。―――確かに。奥様が最初こちらの女主人になられると聞いたときには、驚きましたし反対も致しました。ですが、今ではあの方で良かったとさえ思っていますの。それなのに、当の侯爵さまがまるで奥様に無関心かのような態度。それでは奥様があまりにも可哀相です。ですので、侯爵さまにご相談せずに私が許可いたしました。」
 「そんな勝手なことを!!」
 「どこが勝手だと仰るんですか?ご自分の態度を振り返ってみてくださいませ。」
 マルヘイユ夫人はそう言い放つと、食事もそこそこに席を立つ。まるでアーサーと二人きりでいるのが耐えられないかのように…。



 『―――奥様は、もういらっしゃいません。』
 『奥様は、昨夜遅くお暇されました。私の部屋に直接来られまして。』



 ―――俺が、追い出してしまったのか?
 そうだ、と思う自分と。
 そうだ、と認めたくない自分が心の中で混在している。

 
 どちらにしろアーサーは、自分の心の葛藤に戸惑っている間にソフィアを失ってしまったのだ。
 それだけはアーサーが唯一理解できる確かなことだ―――。