夜。
相変わらず一人寝が続いているソフィアは、ベッドの中で先の夕食前のアーサーとのやり取りを思い出していた。
『写真を人に見せるつもりは無い。そなたにもな。』
『私は、他人ではないはずですわ。あなたの妻ですもの。』
『―――名目上のな。ただ、それだけの存在だ。」
『だんな様っ!!』
『出て行け!!』
『なっ!!』
『―――聞こえなかったのか?出て行くんだ!!』
アーサーのそんな一言がソフィアの心に突き刺さる。
(何故なの?だんな様は一体私に何を求めてらっしゃるの?)
そんな疑問が結婚当初よりソフィアの心の中に渦巻いている。
―――私の事を好いてもいない。だからといって他に愛人がいてその隠れ蓑というわけでもない。ましてや女主人としての手腕を期待されているわけでもない。
アーサーはこの半年、ほとんどソフィアを気にかけている様子もなかった。それどころかソフィアの存在など初めからなかったように振舞う一方だ。
(・・・これなら、憎まれている方がよほどマシってものだわ!!)
それがソフィアの正直な気持ちだ。
アーサーの中にソフィアの存在など初めからないのだ。ただ何の希望もなく、やりがいもなく過ごすだけの毎日だ。ソフィアに用事のあるときでも大概マルヘイユ夫人経由で知らされるのだ。
しかもこの半年間。いろんなところから届いている招待状の内、最低限出席しなければならないもの以外は、すべて断っているのもソフィアは知っていた。
そして、夫婦で出なければいけない招待状もだった。
―――私みたいな没落貴族の娘を嫁にもらった事自体恥ずかしいんだわ、きっと。
普通。新婚夫婦はいろんなところから招待状をもらったら、出来るだけ断らずに夫婦で出席するのが一般なのだ。
(もぅっ、嫌!!こんな形だけの夫婦なんて我慢できないわ!!)
ソフィアは寝室の中央にあるベッドの上で握りこぶしを作って決心をする。
(そんなに私みたいな妻がいらないんなら、望みどおりこの部屋から出て行ってやるわ!!)
ソフィアは怒りに任せて自分が嫁入り前に使用していた物のみを鞄につめ、その足で寝室を後にした。
******
「すみません。マルヘイユ夫人。こんな遅くに…。」
ソフィアがまっすぐ向かったのは夫の部屋ではなくマルヘイユ夫人の部屋だった。
「…ソフィアさん?どうかしたのですか?」
そう訝しげに言いながらも、マルヘイユ夫人はドアを開けてくれた。
「あの…。お願いがあって来ました。」
「―――え?ってソフィアさん?!何です?その荷物は。」
驚いたように問いかけるマルヘイユ夫人をみて、ソフィアは仕方ないなとばかりに微笑んだ。
「今日、だんな様と二人で話をしたのですが、やはりだんな様には私は必要ないとの結論に達しましたの。」
少し俯き加減にそう言うソフィアにマルヘイユ夫人の方はなんと声をかけてやればいいのか分からない。特に今晩など、二人が言葉を交わさないどころか、視線さえも一度も合わせなかったことをマルヘイユ夫人は知っている。
「実家に帰られるとおっしゃるの?」
気遣わしげなマルヘイユ夫人にソフィアは寂しそうに首を振る。
「いえ。私が家に戻ると、家族が困りますもの。」
「では、その荷物は?」
訝しげに問いかけるのも当たり前だろう。実家には帰らない。他に行くところの無いはずのソフィアが荷物をまとめているのだ。
「実は…。私をこの邸の住み込みのメイドをして雇っていただきたくって。」
「え?!」
「生活が出来るくらいのお金が溜まるまででいいんです。」
「そんなわけには参りませんわ。あなたはこの邸の女主人なんですよ!!」
マルヘイユ夫人の言葉にソフィアは小さく首を振った。
「私はこの邸では、いてもいなくても一緒ですわ。私が来る以前も、マルヘイユ夫人が上手くやって下さっていたんですもの。―――それに、だんな様にとっては、まさに名目上の妻ですわ。私はそんなこと、もう耐えられません。」
それを言われるとマルヘイユ夫人は何もいえない。―――慰めてあげることすら出来なかった。
「せめて、明日アーサーに相談してからでも…。」
「同じですわ。だんな様は私のことを気にもかけてくださっていないんですもの。私がいなくなってメイドが一人増えたところで、気にもしないでしょう。それに、私の実家ではほとんど自分でやってまいりました。教えていただいて頑張りますので、どうかお願いします。」
ソフィアはマルヘイユ夫人に大きく頭を下げた。
女主人としてこの邸に嫁いできたはずのソフィアがメイドとして働く。
それがどんなに屈辱的なことか、マルヘイユ夫人には手に取るように分かる。
だがそれ以上に、アーサーのソフィアへの接し方が我慢できないのであろう。
マルヘイユ夫人は、物悲しそうに小さく息を吐いた。
「わかりました。とりあえず今日はこのまま寝室でお眠り下さい。何といっても夜が遅いですからね。そのかわり、明日一番にメイド頭には話を通しておきます。ここの仕事は住み込みは朝5時から仕事となっている。なので、ソフィアさんもその時間には起きてくれますか?部屋割りに関してはその後、メイド頭に伝えておきます。」
ソフィアはマルヘイユ夫人の言葉に大きく頷いた。
(もうこれで、お飾りの女主人ではないんだわ。)
そう思うと、意気揚々として寝室に帰っていくソフィアの後姿をマルヘイユ夫人は、ただ見つめているだけだった。
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