「だんな様。今、お時間よろしいですか?」
 晩御飯まで待っていられずに、書斎から出てきたアーサーに声をかけた。
 「何だ?急ぎの用事か?」
 不機嫌そうに応えるアーサーだが、ソフィアの方は怯む様子はない。
 「談話室の模様替えのことですわ。」
 その一言で、アーサーは歩みを止める。
 「その件は、マルヘイユ夫人と執事の方に相談するように言った筈だが?」
 無愛想に応えるアーサーにソフィアは急いで横に並ぶ。
 「マルヘイユ夫人でも執事でもなく、だんな様に聞きたいことがあるんですの。」
 「何だ?」
 憮然としたアーサーの顔に、ソフィアは気にせずに笑ってみせる。
 「実は談話室の暖炉の上があまりにも何もないので寂しいわねって話をしていましたの。ですので、だんな様と私の家族写真をそれぞれ置くというのはどうかしらと思いまして。」
 「―――いらぬ。」
 「え?」
 「私の家族写真などを飾らぬとも、そなたの家族の分だけであのような手狭い暖炉の上などいっぱいになるはず。だからそなたのだけで十分だ。」
 「でも…。」
 「これ以上、この事については話す必要はない。」
 「え?!ちょ、ちょっと…。」
 アーサーはソフィアの呼び止める声に耳を貸すことなく、寝室へと入っていった。
 おそらく、夕食前に汗を流したいのだろう。
 そう推測は出来るのだが、ソフィアの方も我慢が頂点に達してくる。
 (いっそ、寝室に乱入してやろうかしら?)
 そんな思いに駆られそうになる。元来、ソフィアは自分の思っている事を素直に言葉にする方なのだ。はっきり言ってこの半年間。黙っていられたのが不思議でしょうがない。



 (よっし…。)
 半年間の我慢で、ソフィアの方も堪忍袋が切れたのか、つかつかとアーサーの寝室の前まで行くと、ノックをする。元来大人しい性格ではないソフィアだ。ここまで3ヶ月間、よく持った方だと自分でも密かに感心していたりする。
 「だんな様。だんな様?」
 何の返事もない。
 寝室の戸に耳を当ててみると、かすかに水が流れている音がする。
 (やっぱり、ね。)
 先程のアーサーの様子にそんなことだろうと思ったのだ。
 「だんな様。入りますわよ。」
 ソフィアはそう一言断って部屋の中に入る。寝室の奥にあるシャワー室からはまだ水の音が聞こえていた。

 (―――へぇ…。こんな部屋なんだ。)
 結婚して半年。
 アーサーの寝室にはじめて入ったソフィアは部屋を見渡した。
 寝室の大半は大きなベッドが占めている。
 というより、他にはほとんど何もない部屋だ。ベッドの横に枕元を照らすスタンドと、それを置く棚。それくらいのもの。
 「しっかし、何もない部屋だわ〜…。」
 『シンプル イズ ベスト』という言葉があるが、そんな言葉以前に本当に家具がない。生活感がないのだ。
 「こんな部屋でよく寝れるわね…。」
 ソフィアにしたら考えられないくらいだ。ソフィアの家は裕福ではなかったが、少なくとも各部屋には温かみがある。一々実家と比べるのはどうかと思うのだが、他に比べるところがないのだから仕方がない。
 「…こんな部屋で悪かったな。」
 背後からかなり不機嫌な声が聞こえてきた。
 「―――あ…。」
 「何の用だ?断りもなく人の寝室に入ってくるだなんて…。」
 「え、えっと…。」
 「なんだ。俺に抱いてもらいたくてやって来たのか?」
 アーサーの言葉に、ソフィアは真っ赤な顔をして振り向いた。目の前には、バスタオルを腰に巻いたアーサーの姿。男性の上半身とはいえ裸を見たのは初めてだ。
 ソフィアは急いでアーサーに背中を向ける。
 「ち、違うわ!!」
 「では、何だ?私に何の用がある?」
 不機嫌な声だ。振り向かなくても分かる。今まで見てきた不機嫌なアーサーの中でもTOPクラスを占めるだろう。
 「だんな様の家族写真の話ですわ。」
 「さっきの言葉は理解できなかったのか?」
 「そうではありません。でも、私としましては、だんな様のご家族の写真を談話室に飾らせていただきたいの。私の実家でさえ、写真を何度も撮っていますもの。だんな様のご家族の写真がないということはありませんよね?先程も『無い』とはおっしゃりませんでしたでしょ。」
 後ろを向いたまま応えるソフィアの耳に、バンッという大きな音が聞こえてきた。
 アーサーがすぐ近くにあった壁を思いっきり殴ったのだ。
 「写真を人に見せるつもりは無い。そなたにもな。」
 「私は、他人ではないはずですわ。あなたの妻ですもの。」
 「―――名目上のな。ただ、それだけの存在だ。」
 馬鹿にしたように、突き放すように喋るアーサーに、ソフィアは怒りを覚える。
 「だんな様っ!!」
 「出て行け!!」
 「なっ!!」
 「―――聞こえなかったのか?出て行くんだ!!」
 そう言うと、アーサーはソフィアの手首を掴むと、寝室から無理やり追い出した。
 
 バタン。

 アーサーの寝室から追い出されたソフィアの耳に、その音がむなしくひどく響いた。