「おはようございます。」
朝5時。
ソフィアは元気よく部屋から出て、使用人たちの集まっているフロアにやってきた。
その一声よりも、その言葉の主を知って、使用人たちはざわざわと、あちらこちらで小声で何かを喋っている。
メイド頭が大きく手を叩いて、ソフィアの横にたった。
「これっ。シュメール侯爵家の使用人ともあろうあなたたちがそんなはしたない様子でどうするのです。まぁ、驚くのも無理はありませんが…。本日ただ今をもって、ソフィア様は私たち使用人としてこちらで働くことになったのです。―――アン。これからソフィア様に一つ一つ、教えてあげておくれ。」
「どうぞ、よろしくお願いします。」
ソフィアはもう一度頭を下げた。
「あの…。メイド頭さま。いくつかお願いが…。」
「なんですか?ソフィア様。」
まるで、『私の決めたことに何か不満でもあるの?という勢いである。
「いえ。あの、ま、まずですね。その、「様」というのを止めていただきたいんです。私も今では一介の使用人ですもの。それと、お部屋と洋服も賜りたく思います。」
「あ。えぇ。そうですわね。それもマルヘイユ夫人から伺っていますわ。」
「あと、敬語のほうも…。
私が一番新米で何も出来ませんが、皆様、どうぞよろしくお願いします。」
ソフィアのその態度は、たくさんの衝撃と、たくさんの賛美によって迎えられたのだった。
******
「ソフィア様…。じゃなくってソフィアさんって実は結構いろんなことをやってらっしゃった…やってたの?」
「え?あ、家のこと?」
アーサーとマルヘイユ夫人が朝食をとっている時間。アンとソフィアはソフィアが使っていた部屋を客間に変えるべく孤軍奮闘をしていた。
「えぇ。だって、結構道具の呼称とか知ってるし…。」
「勿論よ。私の家ではほとんど人にやっていただけるお金なんて無かったんですもの。すべて自分たちでやってましたわ。でも、毎日同じ箇所をするのって飽きるのが早いじゃない?だから毎日、違う部屋を担当したりしてね。」
「でも。一度は侯爵夫人にまでなられたのに、だんな様のご意向でメイドにだなんて、あんまりですわ。」
今にも泣きそうなアンに、ソフィアはニッコリと笑ってみせる。
「これは、私が勝手にマルヘイユ夫人にお願いしたんですの。働きたいって。」
「でも、それでも…。」
「今まではお飾りの『侯爵夫人』だったんですもの。それよりはこうやって一生懸命働いてお給金をいただく方がよほどマシ。」
「ソフィアさん?!」
「私はいてもいなくてもいい存在でなんていたくないの。」
きっぱりと言い切った。
「だから、よろしくお願いしますね、アンさん。」
ニッコリと笑ったソフィアに半ば雰囲気が押されたように頷く。
「そうですね。じゃぁ、そうと決まれば、早くこの部屋を片付けてしまいましょう。」
「えぇ。―――ただ、当分の間アンさんのお部屋に泊まらせていただくことになるんだけど…。」
「大丈夫ですよ。もともと二人部屋だったのを一人で使ってたんですもの。しかも、私、ソフィアさんのこと、大好きですもん。」
「よろしくね。」
二人も嬉しそうにニッコリと笑った。
「でも、ソフィアさん。本当にこれらのドレスを置いていかれるんですか?」
そう言い指したのは、侯爵夫人になったソフィアにと用意されたドレスの数々だ。アクセサリー類も多数ある。
「えぇ。だって、メイドになった私には全くいらないものですもの。だから、私が持っていくのはこのかばんに入るだけなの。」
そういいながら、ソフィアはドレッサーの上に、左手の薬指に嵌められた指輪をそっと置いた。
「この部屋はこれ位でいいかしら?アンさん。」
ベッドメーキングをはじめ、部屋の中にはもう塵一つ落ちていない。
「はい。これで大丈夫です。ドレスやアクセサリー類は、部屋の端の小さなクローゼットにしまいこんで、見た目はただの客室に見えますしね。―――次は、だんな様の書斎に参りましょう。」
アンはそう言うと、そのまま先に部屋を後にする。
(…だんな様が私がいなくなったことって、いつ気づいてくれるのかしら?)
そう思いながら、ソフィアのアンの後を追った。
―――気づいてくれるわけ無いんだよね。
その言葉は、口から出ることなく、元ソフィアの寝室だったドアの中へと吸い込まれて…消えた。
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