翌日。
 ソフィアが起きたのは、朝の6時半。結婚してもしなくても変わらない部屋、風景だ。いつもの通り何も変化はない。
 (でも、今日からは違うんだ。)
 いつもメグが起こしに来るよりもまだ時間がある。だが、そんなことなどどうでもいい。今すぐ起きて、私の仕事をちゃんとしなきゃね。
 ソフィアは両手で握りこぶしを作ると、奮起一番ベッドから飛び起きた。
 ソフィアの実家は没落貴族で、必要最低限の召使しかやとっていない。必然的にソフィアも自分のことは全て自分でするようにしてきたのだ。つまり、普段のドレスを着るのは自分で出来るということだ。
 ソフィアはドレスを自分で着付けると、トコトコと下に降りていった。


  「―――まぁ、ソフィアさん!!言ってくだされば、誰か手伝いに向かわせましたのに…。」
 ソフィアを一番初めに見つけたのは、この邸をついこの間まで取り仕切っていた女性と思われるだ。
  「いいんです。自分でできることは自分でするようにしていますから…。―――あの、えっと…。だんな様からまだ紹介のほうを受けてないんですが?」
  「―――あ、そうですわね。私、アーサーの叔母のステファニー=ド=マルヘイユと申します。アーサーがこの公爵家を継いだころからここにいますのよ。アーサーの生活が落ち着くまではと、夫に言ってこちらを管理していますの。」
  「私はなんとお呼びしたらいいですか?マルヘイユ夫人でよろしいかしら?」
  「ええ。そうね。そう呼んでいただける?」
  そう言って頭を下げるものの、その目は
  (あなたがいなくても、この邸はちゃんと回るのよ。)
  と語っている。
  ソフィアは彼女の目に宿る気持ちは気にせず、その言葉に一つ頷くと、マルヘイユ夫人ににこりと笑いかけた。
  彼の親族がこの結婚に大反対であることは、ソフィアにも分かっている

  ―――でも、ここで負けてなるものですか。
  そんな思いが心の中でこだまする。この邸の人たちが結婚した後もソフィアを受け入れないであろうことは初めから分かっていたのだから…。
  そう考えると、心の中で少し前向きに考えられたような気がするのだ。
  「あ、あの…。マルヘイユ夫人。私、実家のほうで邸の切り盛りなどを多少は学んだんですけど、やはり、こんな大きな邸ではなかったものですから今一、勝手が分かりませんの。でもこれから一生懸命学んで生きたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。」
  そう単刀直入に話しかけた。
  (ここで意地を張っても仕方がないわ。それよりもちゃんと下手に出たほうがよっぽどまし。)
  そう心の中で言い聞かせる。確かにアーサーは何を考えているか分からないし、彼の本当の妻になる儀式もまだ済ましていない。だが、それでもソフィアはここの女主人になったのだから、せめてこれだけでもちゃんとしなければ…。
  ソフィアはそう前向きに捕らえることにした。何があろうとも、アーサーがソフィアに求婚し、それをソフィアも是としたのだから―――。  
 
 そんなことを考えているソフィアの耳に、朝起きてきたのであろうアーサーに挨拶する使用人たちの声が聞こえてくる。
 ソフィアの方もおざなりな挨拶だけはすることにした。
 一応、礼は失しない程度に…。

 「今朝からしばらく、各荘園の運用の様子を見に行ってくる。」
 唐突なアーサーの言葉に、ソフィアの手がふと止まる。
 「今朝からですか?」
 「あぁ。この結婚の用意でここしばらく行けていなかったからな。」
 「まぁ。そんなに急がなくてもいいんじゃありません?アーサー。まだ昨日式を挙げたばかりではありませんか。」
 「いえマルヘイユ夫人。そういうわけにも参りません。私は公爵の地位を受け継いでそんなに日が経っていないのですから。」
 そうきっぱり答えるアーサーを見るソフィアの目には、ハッキリとした非難の色が見える。だが、アーサーとしても彼女に何も出来ないまま、一緒に暮らすのは一種の拷問だ。そんなところにあまり身を置きたくない。
 「そうですか。分かりました。今回の旅がだんな様にとって心地よいものになることを日々祈っておりますわ。」
 ソフィアはそう告げると、静かに席を立った。


 後日。ソフィアはマルヘイユ夫人と一緒に食事をしていた。
 アーサーの帰宅の知らせは未だない。

 「そうですわね、ソフィアさん。―――ソフィアさんはこの邸のことは?」
 「いえ。まだ自分の部屋と昨日足を踏み入れた教会と、あと食堂くらいしか…。」
  ソフィアは莫迦にされるのを承知で素直に話す。『女主人になろうとするものが、この邸のことをまるで知らないなんて』と思われようと、それが事実なのだ。こんなところで見栄など張っても仕方がない。
 「まぁ、そうでしたわね。アーサーがまだ案内していないのであれば、代わりに私が案内するわ。―――あの子も急に公爵家を継ぐことになって、自分のことだけで精一杯みたいですし…。」
   その声は、先ほどまでの刺々しさは少しなりを潜めている。
 「―――だんな様が公爵家を継ぐことになったのは最近なんですか?」
 「えぇ。―――ちょっと不幸続きでしたので・・・。だから、アーサーから結婚するって話を聞いたときは本当に驚きました。」
  訝しげにマルヘイユ夫人の様子を伺うものの、夫人のほうはソフィアの様子をまったく気にせず、部屋を出て先へ先へと進んでいく。
 「まず、こちらが談話室です。アーサーはあまり足を踏み入れることはないの。ここではもっぱら私が一仕事終えてから刺繍などをしてすごしています。アーサーのほうは…、たまに執事を相手にチェスをする位にしか使わないわ。」
  部屋の中は少しこじんまりとしており、暖炉のそばにはじかに座れるように絨毯を引いてある。チェス用のテーブルと椅子は、誇りなど積もってはいないが、そんなに頻繁に使われている様子はない。
 全てが整然とされていて、あまり温かみのする部屋ではなかった。



 他の部屋全てがそうだった。
 全ての部屋が綺麗に整えられており、塵ひとつ落ちていない代わりにソフィアの実家にあったような温もりが少しも感じられなかった。