―――し、信じられない!!
 ソフィアは、自分の部屋のベッドの上にある枕を入り口に向かって投げた。だが、誰もいないそのドアの前で、枕は虚しく音を立てて落ちた。
 (何なの?!何なのよ、一体!!私が何かしたって言うの!!)
 そう自分に問いかけるものの、この邸に来てからソフィアがした事といえば、侯爵に会ったくらいだ。
 それも、一言も発する時間もなく、侯爵はソフィアの前から去っていったのだ。
 「私は望まれて、この侯爵家に嫁いだのよね?」
 誰もいない部屋の中で、ソフィアはポツリとこぼした。

 ―――あちらさんは持参金は要らない。ただ、ソフィアが嫁に来てくれるだけで良いと言っているのだ。―――

 父であるドレイン子爵の声がソフィアの中で甦った。
 自分の家よりももっと上の侯爵家。しかも持参金はいらない。
 そういわれた時点で、ソフィアは父親の言うことを鵜呑みにして、ちょっとドキドキしながらこの侯爵家にやってきたのだ。しかしよく考えたら、あまりにも貧乏だったドレイン子爵令嬢であるソフィアは、社交界にさえ出たことがないのだ。そのソフィアを侯爵はどこで見初めたというのだ?
 (…なんだ。私って体よく扱える飾りの妻って事ね。)
 ソフィアは、なんだか自分で自分のことがおかしくなってきた。自分より遥かに身分の下の女性だもの。誰からも文句は言われないってとこね。
 
 部屋に置かれたドレッサーに浮かぶ自分の姿。
 この部屋にふんだんに置かれているろうそくの炎で、自分の姿は包み欠かせず見えている。
 金髪がもてはやされている世の風潮に合わぬ栗色の髪。しかも、ちゃんと整えられていたはずなのにいつの間にか乱れ、重力に従うように所々髪が垂れ下がっている。
 ―――これで絶世の美女とかだったら、こんな扱いされないんだろうけど…。
 自分の容姿が十人並みだということはソフィア自身知っている。
 (だからって、だからって、こんな扱いを受ける覚えなんてないわ!!)
 もう一度。
 ソフィアは枕を今度はドレッサーに叩きつけたのだった。


******


 「よく来てくれた。」
 それが、侯爵がソフィアに掛けた第一声だった。
 別に感慨深い様子もなく、かといってソフィアをどうしても妻にしたいというような様子もない。
 ただ、淡々とした声。ただそれだけだった。

 ―――寒々しい…。
 
 それが、ソフィアの侯爵邸に対する、侯爵に対する感想そのものだった。
 
 「お部屋にご案内させていただきます。」
 侯爵邸を無遠慮に見回していたソフィアに背後から声が掛けられた。気がつくと、侯爵の横に召使らしき女性が立っている。
 「ソフィア。彼女はメグだ。君の身の回りを世話してくれる。何か分からないことがあったら彼女に聞いてくれ。」
 侯爵はそういうと、振り返りもせず去っていく。
 (え?!それだけ?!)
 声を掛ける暇もなく去っていく侯爵にソフィアは半ば呆然と見送っていた。
 「ソフィア様。こちらです。」
 メグのほうはそれが当たり前のように淡々と、ソフィアを案内する。ある意味静かに、ソフィアの存在が受け入れられたのだった。
 「…あ、あの。メグさん…。」
 「『メグ』とお呼び下さい、ソフィア様。私はただの召使です。」
 「え…っと、じゃ、メグ。侯爵様はいつもあんな感じなの?」
 「はい。旦那様はどんな時にも落ち着いてらっしゃいます。」
 当たり前のように頷く。
 「えっと、侯爵様のお名前も私、伺ってないんだけど…。」
 そうなのだ。父からはただの「侯爵様」としか聞いておらず、今日の対面で名前を教えてもらえると思いきや、何の自己紹介もされぬまま去って行ったのだ。
 「侯爵様のお名前ですか?アーサー様とおっしゃいます。アーサー=ド=シュメール侯爵様です。」
 他に何か用事はないかと訊ねるメグに、他に用事はないと頷くと、彼女はそのまま部屋を出て行った。そして一人。ソフィアは部屋に残されたのだった。