書斎。

 ソフィアがアーサーの妻であった半年間、一度も足を踏み入れることが出来なかった場所。この邸の中でアーサーが一番過ごしている場所。
 (妻じゃなくなって、漸く入れるだなんて、―――なんだか皮肉だわ。)
 部屋に入りあたりを見渡す。
 書斎のドアを開けた感想がこれだった。
 
 「う〜ん…。」
 大きく息をする。
 (でも、ちょっと緊張するかも…。)
 妻であったときには入れなかった部屋は多くあった。だが、特にこの部屋には近寄らせてさえくれなかったのだ。
 (普通なら、どの部屋でも出入り自由なはずなのにね…。)
 つい、普通の夫婦と比べて卑屈になってしまう。

 「も、いいんだわ。もう夫婦じゃないしね。」
 つい先程まで指輪をつけていた左手の薬指を見る。もう、指輪がない。ただ、半年間つけていた指輪の痕があるだけだ。
 「あ、ソフィアさん。だんな様が来る前にやっちゃいましょう。」
 「そうね。やっちゃいますか?」
 二人はにっこり笑って、部屋を掃除していく。
 綺麗に詰まれた書類が大きなマホガニーで出来た曇り一つない机が大きな顔をして部屋の中を圧倒している。壁には大きな本棚に難しそうな本が並んでいる。
 (本当にここで仕事をしていたんだね。)
 そんな思いがこみ上げてくる。
 「ソフィアさん。机の上を拭くときには書類にだけは触らないようにして下さいね。」
 「あ、はい。」
 水ぶきしてから乾拭きを何度も繰り返す。そうするとさほど汚れがないと思っていた机でもやはり雑巾には黒いしみが出来ていく。
 「こんなとこで仕事をしていたのね。」
 そう思うと、なんとなくこのただの机が愛しく思える。
 (本人には、そう思われていないことは分かってても、やっぱり、妻だったからかしら?『情が湧く』っていうことね。)
 そんなことを思いながら掃除をしていく。
 いつもの習慣だと、朝食を終えればすぐにアーサーは書斎にやってくることになっている。今はまだ朝食の時間だが、もう少ししたらアーサーがここに来るのだ。
 (それまでに片付けてしまわないと。)
 そんなあせりも出てくる。
 ―――はっきり言って、メイドをやっている自分の姿を見られたくない。
 そう思う。
 
 きっと、私がどうしていようとも気にはしないだろう。妻だろうとメイドだろうと。
 

 だが、それでも。
 こんな姿を見られて嬉しいはずがなかった。



 「ソフィアさん。そろそろ書斎の掃除を終わりにしませんか?」
 アンの言葉に軽く頷くと、ソフィアはどこから持ってきたのか、一輪挿しの花瓶とその中に飾られたバラをアーサーの机の端に置いた。
 「ソフィアさん?」
 「余りにも殺風景だから…。」
 そう言って微笑んだ。
 アンもその言葉に小さく相槌を打つ。
 「そうですね。これで少しは明るくなりますね。」
 二人は微笑みあうと、一輪挿しに飾られたバラをそのままに、書斎を後にする。





 アーサーがいつもと違う書斎を目にするのはそれから数分後だった。