「彼方って素敵な名前よね。どこまでも遥か遠くまで、空の彼方が見渡せる気がするもの。」
 ―――そう私が貴方に言った教室がある旧校舎が取り壊されることになったのよ?知ってる?
 私は数年ぶりに母校を訪れた。高校時代の友人に、私たちが授業を受けていた教室のある旧校舎が取り壊されると知らされて数日たったころだ。
 まずは、彼と出会った教室に足を向けてから、屋上までやってきた。
 昨日までどんよりした曇り空から一転、今日は快晴だ。

 「ん〜、いい天気ね。」
 ガシャン。
 屋上のフェンスにその身を預けて大きく背伸びを一回、二回。
 ここは彼とよくお弁当を食べた場所。冬になると人影がまばらになって、二人きりになれることもあった。
 あの時に見た青空と今見える青空。
 違うところなど一つもないような、雲一つ見当たらない。
 ただ、違うのは私のそばに彼がいないことくらいだろう。

 (どこまでも遥か遠くまで続くこの空は、貴方のいる場所でも晴れ渡っているのかしら?)
 
 彼がお父さんの仕事の関係で引っ越すことを聞いたのもこの屋上だったっけ。
 「一人、こっちに残ることは出来ない。」
 そう言って苦笑する彼の少し諦めたような横顔は、今でも鮮明に思い出せる。
 「当たり前だよ。だってまだ高校生だもの。」
 当時と同じセリフをぽつりと呟いてみた。
 あの時は強がってそう言ったんだよ。
 仕方がなかったけど、貴方を困らせたくなかったから。でも、心の中では本当は「行かないで」と言いたかったんだよ。知ってた?

 背を預けていたフェンスに今度は両肘を置き、グラウンドを眺める。
 当時。陸上部だった彼を見るためによくここに来ていたんだ。
 今も陸上部の練習している姿がよく見える。
 (秋になっても夕陽が出ても眺めていたなぁ。)
 そんな感傷にちょっぴり浸ってみる。
 一生懸命に走っている子が、どうしようもなく彼と重なって見えてしまう。

 「あのね、報告が一つ、あるの。」
 そのために今日ここに来たのだ。
 
 「私、結婚するんだよ。」
 もう今はどこに住んでいるのか分からなくなった彼に伝える代わりに。
 「相手はね、会社の一つ上の先輩なの。今日もここに来るって話をしたらついて来てくれたのよ。」
 そして、私が感傷に浸れるようにと校門で待ってくれている。
 その姿もこの屋上からは良く見える。
 今では彼以上に私の中では大きな存在になったけど、でも、彼のことを忘れることができない私のために、お別れを言いに行く私について来てくれた。
 「ちゃんと幸せになるからね。」
 
 少しばかり残っていた彼との思い出のかけらをこの取り壊される屋上に残して行こう。
 ―――明日を幸せに生きていくために。