「おめでとうございます。二ヶ月に入られたところですよ。」
その週、いつもより体調が悪かった玲を心配して、孝也は仕事を同居している(年の半分は海外で放蕩生活をしている)父毅に社長業を押し付け、滝野家の所有する総合病院に連れて行った孝也に産婦人科の医師はニコニコと告げた。
「え?」
イマイチ言っている意味を飲み込めていない様子の孝也に、医師はもう一度言葉を伝えた。
「妊娠していらっしゃいます。ちょうど二ヶ月目に入られたところです。」
その時の孝也の顔は、驚きと嬉しさと、そしてちょっと悲しそうな複雑な顔をしていたという。
******
「ねぇ、そんなに心配しなくて大丈夫だよ?」
妊娠がわかって数ヶ月。何度この言葉を伝えただろう?
玲はそう思いながらまた言葉を紡いだ。
玲の妊娠が発覚したとたん、孝也はいつも定時に仕事を終え帰途についている。―――いや、無理やり仕事を終わらせて帰ってくるのだ。
だが、そこは何事にも完ぺき主義の孝也だ。仕事に手を抜くことはないし、ちゃんと終わらせてくるのだ。だが、いつも(孝也の速度)の1.5倍の速度で仕事をやっつけるものだから、彼の補佐をしている秘書などはたまったものではない。(先日など、もう少し何とかならないものかとその秘書から泣きつきの電話が玲の下にあったくらいだ。)
「玲は自分がしんどくても我慢しちゃうところがあるだろ?だから俺が見張ってないと…。」
「大丈夫だって。お義父さまもお義母さまも良くしてくださってるもの。」
それは孝也にも分かってはいる。だが、それは孝也を安心させるのかと言えばそうではない。
玲を喜ばせるのも甘えさせるのも、気をつけてあげるのも自分でありたいのだ。家族になったとはいえ、自分よりも玲の世話をしている両親が恨めしくて仕方が無いのだ。
(しかも親父のヤツまだ『隠居』なんて年じゃないくせに、俺に仕事を押し付けて完全に隠居してしまったし…。)
「それに、一日仕事をして帰ってきた孝也くんにこんなにイロイロしてもらっちゃうと、こっちの方が悪いなって思っちゃうし…。」
「なに?玲は俺にかまわれるのって好きじゃないの?」
ちょっと自分らしくないかなと思うようなセリフを吐いてみる。
「孝也くん…。」
「俺より、親父やおふくろに大事にされる方がうれしいんだ?」
孝也は玲の座っている二人がけソファーの横に腰を下ろして、問いかけた。
「―――ないよ…。」
「え?聞こえないけど。」
答えはとっくにわかっている。だけど言葉で欲しくて孝也は玲の瞳を下から覗き込んだ。
「孝也くんに大事にされた方が嬉しいよっ。…でも…。」
「でも?」
「でも、無理はして欲しくないの。」
「無理?」
孝也には玲の言っている意味がわからないとばかりに首をかしげた。
「無理って?」
「仕事が大変なのに、無理して帰ってきてない?しんどくはないの?」
「無理なんてしてないさ。それに―――」
孝也が言葉を続けようとするのをさえぎり、玲は再び言葉を続ける。それは妊娠がわかって以来、ずっと玲の心の中にあった疑問だった。
「あのね、孝也くんがこの妊娠を嬉しく思ってくれてるとは思うの。」
「うん。それは、勿論。」
「でもね、病院で『ニヶ月です』って言われたとき、ちょっと複雑そうな顔をしてたでしょ?」
「それは!!」
「だからね、やっぱりちょっと早かったのかなって思っちゃったの。孝也くんが決してこの妊娠を嬉しく思ってないって思ってるわけじゃないけど、複雑な顔をするくらいに戸惑ってるのかなって…。私は、ね。孝也くんの子供だって思うだけで嬉しいけど、結婚して三ヶ月で妊娠がわかって…。心の準備が出来ていないまま「おとうさん」になっちゃったじゃない。だからかなって…。」
孝也は玲の言葉の意味を図りかねるように一瞬目を細めてから、大きく見開いた。
「それは違う。…確かに妊娠したのはまだまだ先のことだと思ってたのは事実だけど。」
「やっぱり…。」
「だからと言って嬉しくないわけじゃないさ。玲に似た女の子だったらどうしようとか、さ。俺が玲と結婚したようにいつかは他の男のものになるんだとかさ。気が早いとは自分でも思ってる。しかも、女の子と決まったわけではないのにな。―――それに玲って何にでも一生懸命じゃないか。もし子供が産まれたら、当分の間子供に玲を取られてしまうだろうし…。」
孝也はそこでいったん言葉を切ると、玲の身体をそっと抱き寄せた。
「当分抱けないだろ?」
「―――っ///。。。」
真っ赤になった玲を見て、孝也はくくくっと笑ってしまう。
「何を今更…。ここに俺たちの証がいるのにさ。」
孝也の手がゆっくりと少しずつ膨らんできている玲のおなかをなでる。
「だから、さ。ちょっとした焼きもち、かな。それとワガママだね。玲を独り占めしたいっていう。」
お腹のふくらみを撫でていた孝也の手がゆっくりと背中にまわる。そしてそっと抱きしめる。
「子供が出来たって聞いたときは嬉しかったけど複雑でもあったんだ。―――そして多分、それはずっと変わらない。早いか遅いかの問題とかではなく…。」
そっと呟く孝也の言葉に玲は額を孝也の胸に押し付けた。
「だから、子供が産まれるまでの少しの間は玲を独り占めしたいって思っているんだ。仕事も無理はしてないし、しんどいとは思ってないよ。ただ、少しでも長く玲といたいんだ。」
はっと顔を上げた玲の唇が孝也のそれとそっと重なる。
久方ぶりの口付けだった。
そして―――。
滝野家に新しい生命が流れるまで、二人きりの時間がゆっくりと流れていった。
〜 蜜月 完 〜
|