「留守、か?」
 金曜日の晩から何度も何度も穂乃香の自宅に電話をしてみたが一向に出る様子がない。だから、穂乃香のマンションに来てみたのだが…。
 もうとっくに日が暮れているというのに、部屋の電気ひとつ点いていないようだ。
 (―――どこへ行ったんだ?)
 金曜日からずっと、暁は罪悪感に駆られていた。穂乃香は全く藤原の気持ちに気づいてなどいないのだ。とどのつまり、藤原はただの同僚でしかない。それなのに、暁は穂乃香の気持ちも考えずに嫉妬して、無理やり穂乃香を蹂躙しようとしてしまったのだ。
 (…最低、だな。)
 今まで穂乃香を抱かずに大切に大切にしてきたのに、それが逆に自分の気持ちを押し付ける形になってしまったのだ。
 もし、これがもっと早くに穂乃香を抱いていれば違ったのかもしれない。
 (少なくとも、あんなごときで藤原に嫉妬することなどなかっただろう…。)
 いや、嫉妬していたかもしれない。
 だが、嫉妬していたとしても、今回ほど動揺はしなかっただろう。なぜなら、穂乃香が自分のものだという思いがあっただろうから…。

 ―――もう、遅いのだろうか…。
 
 そんな言葉が暁の脳裏に浮かんでは消えていく。
 そうは思いたくはない。
 だが、いつものような余裕は今の暁にはなかった。自信などなかった。ただあるのは、不安だけだ。
 (穂乃香を失うかもしれない…。)
 その不安が一層、暁を駆り立てていく。そしてその不安な思いのまま、このマンションの前までやってきたのだが…。

 暁を迎えたのは、真っ暗な穂乃香の部屋。
 (どこに行った?)
 今朝から何度も何度も穂乃香の携帯に電話をかけているのだが、留守番電話になっていてまったくかからないのだ。
 (―――どこだ?小山さんのところか?)
 いつも本当に仲よさそうに過ごしている穂乃香と真紀の姿が暁の脳裏に浮かぶ。
 (もしかしたら、いや、おそらくそうだろう。)
 以前、穂乃香がどれだけ真紀のことを頼りにしているのか聞いたことがある。だが、暁は真紀の連絡先も住所も何も知らないのだ。
 ―――ただ、待ってるだけしか出来ないのだろうか…。
 日曜日の今日。この時間になっても穂乃香が自宅にいないということは、おそらく穂乃香は真紀のところにいるのだろうし、こちらから連絡が取れない以上、どうしようもない。
 どちらにしても明日には穂乃香と会社で顔を合わせることが出来るはずだ。
 もし、万が一。穂乃香が出社してこなくても真紀は必ず出社してきているはずだ。となれば、明日になれば穂乃香の居場所が少なくとも分かるはずだ。
 (ここにいてもしょうがない…。)
 それは分かってはいる。
 どうしようもない。
 自分が悪かったのだ。激情のまま、穂乃香にあんなことをしなければ今頃穂乃香はこの腕の中で、二人でゆったりと過ごしていただろう。
 自分でも分かっている。
 ここにいるよりも、明日の仕事のために自宅マンションでゆっくりしたほうがいいだろう。穂乃香が今日は多分帰宅しては来ないだろうから、明日にでも穂乃香を捕まえて、ちゃんと謝ったほうが懸命だ。
 それは分かっている。分かってはいるのだが…。


 ―――もう少し。
 もしかしたら穂乃香が帰ってくるかもしれない。
 ほんの少しの希望であるが、それでもこの場所を離れることは出来ない。

 暁は穂乃香の部屋の窓が見える、その場所から。
 車を動かすことの出来ない暁だった。



 月曜日。
 結局、穂乃香を捕まえることの出来ないまま、時間が過ぎてきてしまった。
 (―――どんな顔をして会えばいいのだろう…。)
 そんなことばかり思ってしまう。何度か穂乃香の視線を感じてはいるのだが、暁自身が穂乃香のほうへ視線を向けることはなかった。
 ―――いや、向けることが出来なかった。
 視線が合ってどんな顔をすればいいのだろう。
 なんて言葉をかけたらいいのだろう。
 そんな思いがぐるぐると暁の頭の中に駆け巡る。後悔なんてそんな簡単な思いではない。
 自分の思いをぶつけてしまった、穂乃香の気持ちを無視して自分の我を通そうとしてしまった。その事実がどうしても暁を苛むのだ。
 何度か穂乃香の視線を感じた。おそるおそるこちらの様子を伺うような彼女の態度が余計に金曜日のことを思い出させるようで、どうしても彼女の視線を真っ向から受け取る事が出来なかった。
 ―――どうすればいい?
 二人の関係を知っている小山真紀に間を取り持ってもらうことも考えないではなかった。だが、真紀のほうは穂乃香以上に鋭い視線を常に暁に発しており、はっきり言って真紀と視線を合わせるのも気まずいのだった。
 (…多分、聞いているのだろう…。)
 おそらくだが、きっと間違いない。
 そう思うと、先日の自分の行動がますます身勝手に思え、結局は堂々巡りになってしまったのだ。

 そうしている間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。
 暁がどれだけ穂乃香と話せるように時間を作ろうとしても、時間のほうは待ってはくれなかった。
 やがて、
 就業時間の終わりを迎える。
 そして、
 金曜日の約束どおり、穂乃香は藤原と定時に帰っていった。暁にはそれを止めるすべもなく、ただ見守るしかなかったのだ。



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